Saturday, October 25, 2008

My Fellow Brooklynite Mono-Orchestrated (might have to be) Fully Frustrated.

僕には、生まれてきてから28年間ギターしか弾いてこなかったような友達がいる。

毎日同じ服、目にかかった前髪、ポッコリ出たお腹、ボコボコの車で雑な運転。パートタイムのおもちゃ屋勤務で28歳未婚。ギターが信じられないくらいにうまい。部屋が汚い。流行り廃りに関係なく、今でもグランジを地で行く生活をしている。

シャイな性格だが実に気さくで優しい人間だ。そのせいか地元ではいつも大勢の友人に囲まれている、隠れ人気者なんだと思う。

でも彼がもし日本にいたらきっと、「メタボ」やら「フリーター」やら「変わり者」のレッテルで今頃雁字搦めに違いない。

「28歳独身、フリーター、ミュージシャン志望、実家暮らし」

あぁ、痛い程目に浮かぶ、こんなレッテル。
ではそんな彼の生い立ちを言い換えるとこうなるか、

「アメリカのミュージシャン。ニューヨーク出身。10代の時はカリフォルニアの音楽学校で学び、現在は地元ニューヨーク、ブルックリンにて音楽活動中」



言葉の持つ力には恐れ入る。そして僕らの固定概念も想像以上に酷い。

時代はもうストックじゃなくてフローを求めてるというのに
未だに僕ら「君の常識は僕の非常識」
いくら調和を求めたって、
君のイエスは僕のノー
僕のゴーは君のストップ
だからもう一度
ストックじゃなくてフローだ
We must know this, we must now fucking understand this.

Saturday, October 18, 2008

Howdy! I Need My Bo Didley!!


「ロックはゲスだ」

髭野郎はそう呟いた。

気持ち悪いナイーヴさが全面に押し出されたナルシズムとか、世代の代弁だとか、アウトサイダー気取った所詮社会人ロックだとかは、結局成り下がった代官山の嘘っぽさのと同じだ。日頃やたらと耳につく言葉、キッズだとかクリエイティビティだとか、アーティスティックとか、エレクトロだとかの所詮成りきり単語で武装したロックはゲスだ。意味の半分も理解らずに語り尽くされる芸術は全部クソだ。

髭野郎は続ける。

「意味なんてねーよ!バーカ。」とほざく冷めた幼稚園児でも無意味に踊れる、時代性とか無視しちゃうくらいのダサさ爆発、裏を返せば大モテの最高にイカしたゴミ芸術、結果としてのガラクタインスタレーション芸術、あの最高なロックンロールは一体何処へいったんだ?

髭野郎はついに問いかけてきた。


2005年、僕は久しぶりに所謂ロック音楽を買った。いやいや、裏切られた。それはそれは最高のロックンロールだった。
今じゃ売れっ子となったこの「髭(HiGE)」のメジャーデビューアルバム「Thank You, Beatles」は、ロック不況中に落とされた最高のロックンロールアルバムだった。意味なんてない、考える必要の微塵も無い、前も後ろも、右も左も形振りも構わない只管最高なアルバムだった。




それにしても無駄に手がかかってそうなPV。「髭(HiGE)」はもっともっと売れていいと思う。
Mステとかに出ちゃって、とことん最高なロックスターになればいい。本気で思う。だからみんなもっと聴け、もっと踊れ。



最近知ったのだが、「髭」は我らが茨城県出身。そんな彼らの今後更なる活躍に期待すべく、文句上等必殺のユーチューブ連発の異例発動。だからそうすぐに飽きるなって。もうあきらめろ、いいから聴け、金輪際堪忍しちゃってこの際もう思いっきり踊れ、笑え。もっともっと楽しもうぜ。何のために生きてるわけでもねーんだし、オンガクのガクは楽なんだし、だったらもっともっともっと楽しもうぜ。

Thursday, October 16, 2008

Do Make Say Think and See My Waterloo Sunset

元来内向的な人間であったように思う。
でもこれは別にネガティブな少年時代を送ったという意味ではない。むしろその逆、健康健全、明朗快活、心は充分に裕福な少年時代を送ってた。内向的だというのは、子供時代は何かと打ち込む物事を抱えこむ質だったということで、現在までも、それはそれは幅広くサッカー、読書、旅、音楽、といつの時も何かに執着してたということ。チームスポーツであるサッカーに内向的とは矛盾しているように聞こえるかもしれないけど、サッカーといっても別にチームワークとかじゃなく、スパイクなどの備品でもなく、ましてや優勝をかけた大会などでもなく、ただ単純にサッカーというスポーツをすること、観ること、考えることが好きだった。今となればチームの実践練習よりも基礎練習が好きだったのもそのせいかと思う。

しかし僕もいつの頃だか海の向こうにある巨大な消費大国へ出向き、暮らし、やがて世界の中心と呼ばれる地で消費のプリンスと化した。これは外向的になったと言うべきか。何かに打ち込む前にまず物をこしらえる。その消費が目前に降りてきてはいつだって本質を隠していたようにも思える。そこで学ぶ事も多々あった。もちろん消費の快楽は今でも色褪せない。でも人間は環境に左右されるもの。いや、ヒトは環境に左右されるどころか形成される生き物だって信じてる。そして僕はもうその大国の消費大都市にはいない。消費のプリンスが活躍できる場にはもう立っていないのだ。

中部大学の武田邦彦教授は、

(フランスの)「小学校の教科書や試験問題を見ると、「よい子」になる教育ではなく、「人間としての独立、尊厳」を育てる教育のように思う。彼らは独立している。そして自分の人生は何をするのか見えている。だから、「物」にはあまり依存しなくても良いのだ。 物を節約してもまったく不満は生じない。
 それに対して日本人は「個」が独立していない。大人になっても、人により添い、寄っかかっているところがある。そして「物」にも頼っている。そしてもっとも大切な「人生の意味」は中途半端にしか体得していない。だから、日本人には「物」がいる。心が成熟し確立していれば、自然と物には頼らずに節約する。節約しても本人は特にそれを意識している訳ではない」

という。
正直、羨ましいと思う。良い子教育の洗練を受けた自分には眩しいくらい。

『私は「リサイクル」、「節約」、そして「3R」などはすべて嫌いだ。それはあまりにも「物」だけに注目し、そして「みんなで監視して守ろう」としているので、まるで日本国民全員が幼児のように感じられるからだ。
 フランスはパリを大切にし、誇りにしている。それは「パリこそが世界でもっとも文化の香りの高いところだから、必ずみんながパリにあこがれるはずだ」という確信があるからだ。
 実は私もパリに行くとその香りに酔ってしまう。ヨーロッパ嫌いの私でも心の充実を感じることは心地よい。パリはその精神性の高さから芸術家、数学者、ショパン、キュリー夫人、ガロアなどを引きつけ、そして今でも「花のパリ」である。
 日本にもかつて、文化の香りがする町があった。西田幾多郎、室生犀星、泉鏡花を出し、旧制第四高等学校が城跡にあった金沢などもその一つだった』

と教授は続ける。
では今自分を取り巻く環境は何か、今一度見直してみる。

親、友達、犬、家、、、あげればキリがない、音、時間、空気、木、緑、庭。。。庭!そう、「庭」と書く一文字の秘宝に扮した財産に何故今までこんなにも無関心でいられたのだろうか。淀んだ郊外の空気にも負けず、街の片隅でひっそりと緑の根が貼られた酸素溢れるその空間を前にしてどうしてこれ以上無関心でいられようか。



通い続けたカフェもこの通り緑に飾られ呼吸してた。
兼六園の緑は21世紀美術館を彩り、大いに気分が良かったことも脳裏によぎる。アメリカの州立公園でもそれは顕著だ。
もちろん州立公園や三大庭園とは費用の懸けようが違うがそこはフランス流、世界は意識で変わる。で、とりあえずガーデニングを始めました、というお話。This is a love supreme. What I have is always supreme, and yours too. Think more about it.

Thursday, October 9, 2008

Think Glocal, Act Glocal, Fuck Non-Glocal

国内一地味だと思っていた地元茨城県を越え、「最も影が薄い県(地域ブランド知覚指数ランキング最下位)」と言われている栃木県。そして県内でも更に最も存在感が無い地域の一つであるという栃木市に先日行ってきた。

訪れた街は著しく見られるシャッター街、潰れた商店街、すっかり活力も失われているようなこの街。自由市場経済の確かなる被害状況が生々しかった。

さて、今回訪れた理由は、とある経由で出向いた「栃木•蔵の街プロジェクト」。映画祭やアート、農業などのテーマに基づいた、いわば一大町起こし。



映画際には欧州各国大使館などが協賛し、栃木名物の蔵での映画上映が先週末中行われていた。
アートプロジェクトでは、関東の美術大学(多摩美術大学、武蔵野美術大学、東京藝術大学、東京工芸大学ほか)の生徒達による、蔵をギャラリーとして利用した展示会。
そして「元気ジャパン農園」と評される、自給率アップを目指した週末農民プロジェクト。
参加したのはアートプロジェクトのみだったけれど、さすが美大生。とても楽しめました。
個人的に、アートには造詣が薄いためあまりコメントなどはしたくないのだけれど、それにしてもあの街おこしプロジェクトには何か羨ましい、単純に居合わせただけでも満足できる、そんな素晴らしい空気がありました。

で、なんと言ってもあの街。
モロに観光地化され芽生えた商業性が著しく目立つ京都や岡山県倉敷市とは異なり、これでもか!という程のオールドスクール感。もうスケールが違う。
あまりの幻想的店構えについ誘われた「喫茶ロマンチカ」では、かなり美味なブルーマウンテンが400円台。今時分、ブルーマウンテンやキリマンジャロといった珈琲を喫茶店で飲むには600円はかかるという意識があったので、もうそれだけで満悦。地価と原料費を理解している抜群のコストパフォーマンス。そして目の前に建っていた「美容室 ウシク」。あまりの身内ネタのため、これ以上は掘り下げれないと自負しながらも、やはりどうしても書かずにはいられない衝撃的な出会いだった。

話は戻って...
国内食料自給率40%といわれるこの国に生きる者として、やっぱり「週末農民プロジェクト」に参加したい感はあった。
株じゃなく原油でもない、自給自足が基本のホモサピエンスは何処へ行ったてしまったのか。ホモサピエンスは「知恵のある人」という意味を持つという。古人類学では、「人間」とは社会性/人格を中心に置く。ならば現在一番必要なのは何だろう。目先の安定なんだろうか。社会に属さずには生きれないのに人間はいつだって、個人主義に陥りワケも理解らず混沌を生み出してきた。知恵をもつ人は、そこから学習するのが常ではないんだろうか。



人間が群居性の動物であるというなら、今一番大切なのは高次な欲求が織り成す経済の微粒子とかじゃないんじゃないかな。
「地球温暖化ではなく、地球高温化ではないか」とは作家、倉本聰の言葉。なるほど、言葉の持つ意味は大きい。行動にさえ左右するもんだ。
こんなことを、サントリーモルツを秋の肴にアル•ゴア著の「An Inconvenient truth(不都合な真実)」を読みながら思った。

Wednesday, October 8, 2008

ILL BEATNIK




「路上」に出会ったのは確か中学3年生の時だった。

「世の中つまんねぇ!どいつもこいつもクソばっかりだ」と、いつも通り学校をサボりながら「何か面白い本ないかな〜」、と近所の書店でひとりぷらぷらと純粋無垢に文庫本コーナーを徘徊していた時にたまたま手にしたのがきっかけだったのがJ•ケルアック著の「路上」。パンクとかグランジとかを初めて聴いた時に、ワケもわからずにただひたすらでっかい衝動を糧に、タバコとお酒を買っては不良の真似事を繰り返していたあの頃と同じ要領で、ギンズバーグとかバロウズを読みあさっていたことを覚えている。
うん、確か、「俺はアメリカにいくぜ」と密かに若さ溢れる決意を胸にしたのもその頃だった。

しかし、パンクとの出会い以降は「路上」や「吠える」などの所謂ビートニク関連以外の全ての書物を捨て去り、まるでロンドンのゲトーにでも暮らしているかのようなパンク模倣犯になってからは、「パンクは本も読まないし勉強もしねーんだ」などとほざいては、しばらく文学とは決別していたあの青春時代。捨てはしなかったものの、ケルアックもギンズバーグも全く読まなくなっていた。

しかしやがて月日も経ち自由と無軌道の区別を覚える年頃になると、「パンクは変化であり、姿勢である」という故ジョーストラマーの名言を腰脇にしっかりと携え、異ジャンル音楽への理解を示していくと同時に、文学に戻り不時着したあの頃。消去法という手段ではあったけれど、偶然だったのか必然的であったのかは知れずとも、大学でライティングを専攻すると途端に、怒濤の文学騒ぎが勃発し、やがて英語圏に住み着く20歳そこらの僕は、その頃から久しぶりにビートニクという憧れの世界へ舞い戻ったわけだけれども、そこで在米中に奇跡の詩と出会った、というのが、そしてその出会いから今日までの路上が今日の本題。初めて読んだのは英語訳だったけれど、原文が日本語だったというのも印象深かった。

「へのへのもへの」

無駄口たたくひまあれば
本読みな

本読む暇あれば
歩け 山を海をさばくを

歩くひまあれば
歌え 踊れ

踊るひまあれば
黙って座れ

おめでたい
へのへのもへの
読者諸君

〜ナナオサカキ「犬もあるけば」より〜





今度の帰国にあたり、颯爽と書店に向かい手に入れたのがこのナナオサカキ著の「犬も歩けば」だった。彼の詩集は、それはそれは今年起こった幾度に渡る放浪のきっかけとなり、青春18切符とこの一冊で数時間は過ごせた大作。やっぱり読書は原文が一番だ、という事を思い知る事も出来た超大作。

ゲーリースナイダーはかつて

「ナナオは、日本から現れた最初の真にコスモポリタンな詩人の一人である」

と評した。

アレンギンズバーグはかつて

 たくさんの渓流に洗われた頭
 四つの大陸を歩いてきたきれいな足
 鹿児島の空のように曇りなき目 …
 ナナオの両手は頼りになる 星のように鋭いペンと斧

と唄った。
そしてギンズバーグも愛用していた、最近日本にも上陸し街でもちょくちょく見かける眼鏡ブランド「MOSCOT」を継承しつつ、先日佐田真由美と結婚したばかりのTripster/Sputnik代表 野村訓一氏が、同著の帯を手がけていたのにもびっくりした。
では以下抜粋。

「犬も歩けば自分にあたる。
歩き、見、感じ、自分の声に耳を澄まし、
遥かビートに時代から詩を、
国を越えて唄う詩人の声。
カウンターカルチャーから全てのカルチャーへ。」




なるほどね。

ほら、みんなもっと旅に出ようぜ。

Saturday, October 4, 2008

SUBTERRANEAN HOME SICK BLUES

 先日、諸事情にて急遽訪れた名古屋市内の珈琲屋でくつろいでいると突然、「蒋介石!!!」と一喝しながらホームレス風の男が入って来た。店内を見渡せば空席だらけのその喫茶店で、40代半ばくらいのその禿げかけたポニーテール男は何故か僕の隣の席を選んだ。
 腰を下ろしマルボロメンソールに火をつけると途端にこちらを向き「俺は足軽出身なんだ、名古屋じゃねぇ...まぁ、独り言だけどな」と啖呵を切った。アイスコーヒー片手にタウンワークを眺めては、こちらに色々と語りかけてくる。豊臣秀吉について、銃について、東京の女について、やくざについて、それはもう様々、異種混同のラブパレード。そしてそれら一つ一つの話題が切れる度には必ず「...独り言だけどな」と言い残し、からっからに乾いた口の片端をゆっくりとつり上げる。 
 不思議だった。雨上がりで湿度の高い9月下旬のそんな昼間に大体何故彼はトレンチコート姿なのだろうか。気になって思いつくままに質問してみると、何故だか見事に無視された。まったく上の空、といった表情だ。かと思えば突如振り向き「俺は共産党を応援してるんだ」とか「ここらは最近警察がうようよしてやがる」とか言い出す。そしてお決まりのの「...独り言だけどな」と言い足しニヤリと笑う。
 そこである事に気が付く。彼の両手には共に小指が無い。独り言をつぶやき、小指の無い手を器用に操りながらタウンワークを眺める彼を見ていたら、なんだか切なさのようなものが生まれてきて、ただぼんやりと隣席を眺めていると今度はまた突然、「シンガポールの女は下品だぜ」とか言い出す。「なんで?」と聞き返せば「俺の性に合うからだよ」とか逆説めいた迷答が帰ってくる。その意味を飲み込めず考えていると、彼は腰をあげ「家があんだよ、じゃあな兄ちゃん、災害には気をつけろよ」と勝手に言い残し去って行った。家?HOME?

"Poor Boys Long Way From Home" - John Fahey


 家-ホーム-という響きに引き摺られて、John Faheyを聴いた。ここ数ヶ月、まるで瘋癲のような生活をしていたからか最近になって「家」という語感が何かを執拗に問いかけてくる。

 十数年前にアメリカという幻想に犯されたガキが、やがて身長も電車内で一番くらいになるくらい充分に育つとやがて憧れに向かって飛ぶ時を迎え、それなのにいざ念願の旅立ち直前になれば、そんな時に限って地元を初めて「家のようだ」とサウダージを感じてしまい、されど仲間を背にも旅立つしか道は無く、やがて気付けばあの壮大なウィスコンシンが時間と仲間とともにだんだん「家」のような深みを持ち始め、ニューヨークへ越せば今度は色々な意味での「家」を持ち、そして気付けば米国経済後退とともに昔の我が家へ戻ってきてしまった今日。
 そんな我が家にいると、階下から聞こえてくる懐かしい食卓の音が夕闇とともに現れる鈴虫の鳴き声で情緒豊かにリミックスされ、素敵な家族の風景が見えてきてやっぱりここに確かな愛着を感じる。でも一方で、日本における過剰なまでのニューヨーク崇拝をメディアを通じてひしひしと痛感し、そして「かつての栄光」とも勘違いできてしまうそれを今となっては回想する事しかできない物質的な何をも持たない24歳の自分には、かつて忌み嫌い放っぽっておいた現実とかが邪魔してきて、そんなの一蹴りしてしまえばいいのに何故かしない、出来ない自分は2、3年前の情景を思い出しながら何故だかすぐふらっと放浪に出てしまう昨日今日。
 そしたら今度は、その旅先々で色々なことを見て聞いて感じては感化され、悦や鬱に浸ってはそろそろ真面目に人生を考えたりする。そういう時の心情に見え隠れするキーワードが「郷愁」という意味を含んだ「家」という定義、問いかけだったりする。そして失礼極まりないくらい曖昧な表現をこそっと拝借するならば、それはサウダージではなくノスタルジーという語感が含する郷愁感覚。そんな語感に対する自分の脆さ、脆いからこそ儚く見える情景。そこには何故だかいつもアメリカの情景があって、その時の頭の中を上映してみるとこのJohn Fahey、とくに「Poor Boys Long Way From Homeが流れ出してきて色々と懐かしんでしまうものだから、だったら涙とか出てきちゃう前に「もう家へ帰ろう」と名古屋を後にしたのでありました。

Re: 更新Say

更新Sitarよ