Tuesday, November 11, 2008

11 O'clock News

強い賛否両論を伴う反応というのは、ジャーナリストにとって一番の名誉ではないかと思う。

ウォルター クロンカイトというジャーナリストがいる。
アメリカのテレビジャーナリズムの象徴と言われた「CBS Evening News」のアンカーマンとしての活躍で広く知られている。ジャーナリズムの授業でかつて、ケネディ暗殺の悲報を涙で言葉に詰まりながら速報を伝える彼の姿、ベトナム戦争に対して強く反対を表明する姿を録画で観た時の感動は今でも忘れないし、その時が僕にとって初めて、テレビ/放送ジャーナリズムの在り方を考えた機会となった。




激動の60年代、アメリカ。

今から42年前の11月、サイモン&ガーファンクルがアルバム「Parsley, Sages, Rosemary And Time」を発表した。その中の「7時のニュース/きよしこの夜」(7 O'clock News/Silent Night)という曲。

「きよしこの夜」
誰もが知っているこのクリスマスソングはここで、サイモン&ガーファンクルによる見事なハーモニーとクロンカイトが読むニュースの音声で構成されるという異色のクリスマスソングとなっていた。そこではクリスマスの飾りが照らす華やかな街と夜空、同じ空の下で起きている数々の事件、死、戦争という現実が重ない、音楽とジャーナリズムが一体となって世界を告発した。


08年11月、日本。

僕は先日亡くなったジャーナリスト、筑紫哲也さんの特集番組を観て、井上陽水の「最後のニュース」が番組初期のエンディング曲だったことを知った。



筑紫さんがきっかけとなって書いた詞なのだろうか。
番組で、サングラスの奥で涙が溢れながら唄っているのを観て何かを思った人は今夜何人いたんだろう。


NEWS23といえば、坂本龍一の名曲「Put Your Hands Up」があった。
今思えば、この曲は僕にとっての「きよしこの夜」だったんじゃないかと思う。今でも平和を思う子守唄のように聴こえる。ここにクリスマスの装飾はなくとも、ピアノの響きと優しいメロディで締める番組の終わりが、「世界で色々なことが起きている中、今日も自分の部屋で一人ゆっくりと平和に眠ることができるんだ」という幸せ、当たり前すぎて忘れがちになってしまう「平和に感謝すること」を教えてくれていた気がする。勿論、当時はそんな自覚はほとんどなかったし、筑紫さんのファンでも、ましてやNEWS23のファンでもなかった。

けれど、2006年に帰国した際に観たNEWS23から「Put Your Hands Up」が流れてこなかった時、すごく寂しさを感じたのは何故だろうか。
そして今年の初めの3度目の帰国の時、そこにはもう筑紫さんの姿さえ無くなっていた。その後8月に帰ってきた時にも、やっぱり彼の姿は無かった。気付けば家族が番組を観ていることもなくなっていて、僕も別段チャンネルを変える気にもなれないまま、先日彼の悲報を知った。

そして今日観た特集番組。
ウォルター クロンカイトと筑紫哲也は似ている。「アメリカの良心」と言われているクロンカイトと似ているとなると、果たして筑紫さんは「日本の良心」と言えるのか。答えは分からないけれど、もし仮にそうだとしたら、分かっていることは今、時代は一つの終焉を迎えているということだと思う。


「政治とは世代の間でパイを奪い合うものだが、今この国はガンに陥っている。ガン細胞が出来ると本来使うべき栄養素をガンが使い果たしてしまい栄養素が体全体に回らなくなるように、日本という国のガン細胞がパイを全て食い尽くしてしまい、どの世代にも配分されていない。そういう問題ははっきりしているが、敵は大きい。」

これが氏による最後の多事争論だった。全く、こんな風に後は頼みますとばかりに逝ってしまっては、あまりにも無責任なんじゃないかとも思う。ちょっと待てや、これって全部お前らの世代で作ったことだろ、と言いたくもなる。

でもこんな戯言を言おうと、世代や属性で括れど結局のところ個は個でしかありえない。多事争論とは、字のごとく「論を争う」のであって、そこに解決はない。というかそんなものどこにもあるわけもない。そんな自明の理を前に、いつだって答えをもとめるこの国に若い世代はいつだって不満を感じきて、それなのにいつまでも匿名行為を捨てれず誰も議論を避けてきた半世紀。良くも悪くも日本はそういう国だった。だからこそ、こんな風潮の中で勇気を持って公然と問いかける姿勢を最後まで全うした筑紫さんの死は現代の日本にとって大きな損失であるように思えるし、一つの時代の終焉に思えてならない。彼が正しいかどうか、ジャーナリストとして責任を果たしたかどうか、そんなことよりも、彼が「思考し、私感を述べることのできる」人間であり続けてくれたことに最大限の敬意を捧げたい。

湾岸戦争があり、冷戦が終わり、壁が壊れ、ソビエトが崩壊。9・ 11があり、アフガニスタン、イラク戦争も終わらぬまま金融も崩壊。そして今月、超大国の次期大統領に初の黒人が選出された。 

筑紫さん、ご冥福をお祈りします。

Saturday, November 8, 2008

A Little To Stimulate A Poet In You.

「〜の文章は横書きだよね」

先日、友人であり尊敬する先輩でもある人に言われた言葉。
思いがけない、面白い指摘。その日以来、この言葉は僕の頭のどこか片隅にいつもいた。

毎日のように書きなぐり続けたモールスキンのノート5冊を読み返すと、おお!うん、なるほどなと思う。
そしてこれは英語教育を受けた影響からではなく、現代の日本で育った影響が大きいのだなと思った。

確かに小学校までは「書く」という行為を、日本古来に準ずる縦書きで教わっていた記憶はある。
けれど一度教育機関を放棄し始めてからというもの、雑誌やテレビなどのメディアの影響も強かったのか横書きの文章に慣れ、縦書きの表現に触れる機会が著しく減っていた気がする。

その後、大学で英語でのライティングを学んで以来、今まで遠い世界のように見えていた詩という行為にいきなり異常な愛情を感じ慣れ親しんできた。
ウィリアム カルロス ウィリアムス、ロバート フロスト、W.D.イェーツ、ディラン トーマス、E.E.カミング、ジャック ケルアック、アレン ギンズバーグ、、、数え上げればキリがない。行く先々で所構わず書店を見つけては一喜一憂、入り浸り度々読みふけっては、興奮冷めやらぬまま溢れる所感、感想を呂律の回らない口調で片っ端から友人らに吹いて廻っていたという、今となれば大いに迷惑だっただろうと察するくらい深入りしてきた。

最近では、先日言及したナナオ サカキに始まり、萩原朔太郎、谷川俊太郎、金子光晴、北園克衛、国木田独歩などと、広く浅く読み漁っている次第。でもそこで幾日もある疑問が晴れなかった。


なんで僕は日本語で詩を書けないんだろう。
というより、なんでそれを楽しめないんだろう。


決して僕の英語での詩が秀いでてるなどと言いたいのではなく、
この疑問にぶち当たる度に自分の表現能力を疑い不安になっていたということ。


ある日、ふと先日頂いた言葉を思い返しながら電車に揺られながら膝の上でノートをとりあえず横に置いてみた。

真っ白なページを見ると虫酸が走り、まずは思いつくままにペンを走らせてみた。
1文字、2文字、2行、3行。
いつもみたく横に這わず、縦に揺れる蛇に何とも例えがたい新鮮さを感じ、さて次のスタンザへ進むところ、そこで僕は乗ってる電車がどこらへんを走っていたのか全く気にもとめないまま足早に駅を降りた。咄嗟の行動。O型で長男のいつもの悪い癖だ。咄嗟の行動、けれど時にはこのフットワークの軽さが功を奏す。適当な駅前のカフェに入り、無味無臭な珈琲に250円を放り投げ、とりあえず適当な席に座りノートを開く。ペンを握る。世界を見る。自分が映る。


それから数日経つ。勿論、まだ何も完成しちゃいない。
ただ、何か手応えのようなものを感じたのは確かだった。灯台もと暗し。ヒントはいっつもそこらへんに落ちてるんだったっけ。
とりあえずこれからは、縦書きの世界を見てみようと思う。



は、何?難しい?よく分からない?

え、じゃあお前には何が簡単で、何なら分かるっつーわけ?別に毎日生きてても、法律とか常識とかルールとか、実は全部よく分からなくね?

音楽について熱く語っても、ファッションについて、経済について、夢や将来について誰かが語ってても普通で、詩を語るのは難しい?よく分からない?


詩は決して偉くも難しくもない。
理解の数は星の数ほどあるじゃん。いっつもどこにいても答えを求められるこの社会で、詩は優しくって誰の物でもありえる物だと思うんだけどなー。

え?じゃあフジが詩の番組を、ダウンタウンの担当で8時から放送してたら、どうよ。それでも難しい?
じゃあ、クラブで詩がぶっといビートとダブに乗っかってたら、楽しめない?難しい?じゃあ、アンダーワールドのボーンスリッピーにときめいた時、あのリフレインを難解だ、よく分からん、とかいちいち思った?『最高ー!』ってバンザイしてなかった?


先程言った友人であり尊敬する先輩でもある彼に数年前に教わったこと。
歌舞伎は元々大衆のものだった。実は高貴で近づきがたいものなんかじゃなく、庶民による大衆文化だった、と。
上流社会へのアンチテーゼ、つまりは77年のパンク発祥と類を共にするものであった、と。

いつかテレビで見たこと。
元々モーツァルトの曲は畏まる必要もなく、ディナーのBGM用に作られたのだ、と。

アメリカで感じたこと。
詩はコメディであり、時に人は手を叩いて笑いころげるような感覚を持つ極めてカジュアルなものだ、と。
週末のイーストヴィレッジで、ホームレスや学生や主婦や会社員が集って楽しむ極めてカジュアルなものだった、と。



ギンズバーグはこの時、彼らが生きる時代に対して詩という表現を武器に高々と告発していた。
変人?でもこの人が、みんなの大好きなジョニーデップが尊敬する人の一人なんだよ?
ま、確かにこの阿呆面、やたら早い言い回し、滑稽なほど少ない単語の数。変人かもね。これはもう、一種のお笑いであり得ると思う。分厚い眼鏡と長い髭で武装しながら難しい顔でギンズバーグを語る必要なんて何もない。これしか知らない所謂無知でも、そこに楽しみを見いだしたらみんな一緒に詩ラヴァー。次に戦争が起きたら、詩とか音楽とか、ソフトな方法で反戦運動でもしようぜ。

詩を成す哲学。哲学は世界67億の人間が皆それぞれ持っている個性溢れる俗物で、所詮詩はその表現方法の一つでしかない。
詩は、朝起きて歯を磨くようなもの。詩は、失恋して泣きじゃくっている顔のようなもの。

金子光晴氏の一節


「わたしは たうとう あなたのうんこになりました」


偉大な詩人によるこの一節!これはもう、お笑いそのものでしょ!お笑い観て笑う行為と、僕にとって何の差もない。違う?

でも前後の文脈通すと、僕はいつもこの一節で泣きそうになるんです。
なぜ?さぁ。。。それは67億の理解。SIXTY-SEVEN HUNDRED MILLION!!!! 鈍るな、現代の量感よ。

そう、別に笑いでもいいってこと。一度入り口さえ見つければ、そこには最も暖かい生への祝福があるんだから。頭のぼけた自殺志願者じゃなけりゃ、誰でも楽しめ泣き笑うことができるはずって思う。テレビも新聞も音楽も詩も、底に流れているのは共通してる。ほら、解放しちゃおうよ、その感性。

ギンズバーグも金子光晴も、世の中が大好きだったのだと思う。批評は愛するがゆえ。賛辞に一番近い行為はいつだって「左」だの「右」だのと比喩され煙たがられる批評だ。だから現状に対する告発は、器の大きな愛情表現ゆえであり、それに対して人は笑っても泣いても怒ってもいい。そしていつか文化は伝承する。
全くもって自由だ。
だからいつだって叫ぼう。FUCK YOU!FUCK YOU ALL!

長くて失敬。Sucker.



追伸:
最後に、縦書きへ気付かせてくれた氏へ感謝の意を表します。
この発見は僕の大きな糧となる気がしています。いつかまとめたものを観て頂けたらと思っております。

Tuesday, November 4, 2008

Change: The Answer Is Blowin' In The Wind.

一つの時代の幕が降りた。

アメリカ合衆国で暮らした何年かの月日で、初めて体感した'08 大統領選挙。国民の生活が政治と直接的に結びつくかつての大国で、ヒラリー/オバマが世界を沸かしていたあの時から、仕事柄長らく選挙を追いかけきた。そして気付けばあれからもう一年以上たっている。
高城剛氏は、これからはウルトラ(?)フラットな時代になるって言ってた。そしてそれはまた、誰もが体得ている事実だろうと思う。僕らが思いこんでいたゴールが結局はツールでしかなかったことを証明しはじめているのはもはや明らかになっている。
前にも書いた事だけれど、ストックはもう何の意味も成さない、今はフローが必要なんだって。

で、話は戻って、

9月15日のリーマン破綻が、資本主義/自由市場経済という一つの時代の終焉と捉えることができるのならば、11月4日のオバマ大統領誕生を期に、僕の過ごしたアメリカ生活にもようやく終止符が打たれた気がした。そう、さようなら、アメリカ。





あまりにも多くの経験を得たここ数年の終盤。
楽観的で夢見がちな生ぬるい少年期を過ごした僕には堪え難いくらい、2008年は僕にとってあまりにも多くを失った年だった。それらを失う毎に、さっき書いた「ゴールがツールでしかなかったこと」が徐々に徐々にと明るみになっていった時の僕の落胆は、それはもうここでは言葉でしめせないくらい大きかった。

だから僕は、未だにオアシスの「WHATEVER」をよく聴く。
何年か前の、僕の青春時代の終わりに、多くの友人らに開いてもらったパーティでこの曲を流してもらった記憶は今でも強く残ってる。
大切なものを失う時にはいつもここに帰ってくる気がする。
むかついた時、何もかもがつまんない時、路頭に迷った時、浮かれすぎている時、悲しくて全部投げ出しそうになる時、決まってこの曲を聴く。



"I'm free to be whatever I

Whatever I choose

And I'll sing the blues if I want"

と無責任に勝手に唄い放つ暴漢リアムの言葉で、だいたい目の前にある小さいのにやたら巨大に見える厄介事はとりあえずふっとぶ。
喧嘩は目に見えない相手とするものだ。
アートはこうでもいいんだと実感する。
そうそうそう、やりたいようにやればいい。

やりたいようにやるー時々、ブログを続ける意味を問われる。こういった内容を書くことをこういった場で書いていれば、聞かれなくてもそんなことはいつも自問自答している。意味とかは自分でも分からないし、公で書く事の真意を問われれば、そんなものは無いに等しい。残念ながら「世の中に訴えるんだ」なんていう大それた事情さえも持ち得ていないし、ブログに拘る理由さえもない、別に手段はなんだっていい。ただネット世代にとってこれが一番とっつきやすかっただけってことで、ここに大志はない。

じゃあ何故続けるのかー表現というのは唯一の解放行為、そしてそれは時に快感さえも持ち得るから。元々閉鎖的な世界はあまり好きではないし、誰もみてないかもしれない/されどみんな見ているかもしれない、という淡い切望や安易な僕の人生観が、表現する行為に至らせてくれる、とでも言えばいいのか。プライベートすぎる日記では、僕の精神力に勝ち目がなさすぎる。

「罪」の対義語が「罰」であるならば、「自由」の類義語は「表現」ではないか、と今は亡き津軽の太宰に問いたい。