collective は、2008年7月4日の米国独立記念日を機に、ニューヨーク州ブルックリン区はブッシュウィックにて始動致しました。7月4日に意味は特にありません。ただタイミングが良かったのです。
「collective -コレクティブ-」とは、集合体、共同体、のような意味を持ちます。同じ集合体でも「グループ」という単語は、予め「個」が集まった上での「集合体」という感覚ですが、「コレクティブ」という言葉では、「個」それぞれがそれぞれの目的のもとに一時的に「集まる」というような逆説的な説明がよく似合う粋な言葉です。
別の表現を用いれば、我ら「collective」には、つまり「グループ」を形成するほど「個」の纏まりなんてものは無かった。やりたいことは多すぎるくらいイメージできても、読書や音楽鑑賞などの個人行動以外の何にも魅力を感じられない、外へとほぼ一切の興味を向けられない我が空っぽの世代の2人がたまたま、米国はブルックリンで「このままじゃつまらないぞ」と立ち上がったわけです。
かつてリチャード•ヘルが唄った「ブランク•ジェネレーション」は2008年今日の気分とピッタリ合い、僕らはそのくらい空っぽの世代だからこそ、きっとキレる17歳と当時のメディアに指されていたわけで、今日の日本でも切り裂き事件など数多くの迷事件を巻き起こしている我が世代もようやく書を捨て街へ出る時期がきていると思うんです。米国のドルが下がっているのにも関わらずいつまでたってもドルに勝てない円の敗戦国、不況の手下みたいな国の中で、せっかく頭でっかちに手元に抱えているその破裂しそうな知識も理屈も陳腐なアイロニーも、自立できれなければ、外に向かって表現できなければいつまでたっても僕らアンダードッグなわけで、そうしたらどう考えてもつまらない。FUCK THAT BITCH. 楽しくないだろ。
ならばやりたい事を特定なジャンルに絞れずにもまずは行動も良いのかもしれない。そう思って始まったのが「collective」です。商業的な意識はまだ鳴りを潜めています。問題はないでしょう。二酸化炭素の排出権なんぞを売買しているこのご時世に、この資本主義だっていつまで続くのやらって感じなわけで。LEDなどの地域通貨が各地で増える一方で、巨大大手による環境経営などという言葉が盛んに叫ばれるこの世の中で、資本やその上によろよろと立つ地位や名誉がいつまで意味を持つのでしょうか。例えそれが続くとしても、また僕らに今後もしばらく商業的意識が芽生えてこないとしても、どっちにしろ楽しまなければ最後には何が残るのでしょうか?
だからとりあえず楽しむ。そのために人が集まる。もうこれ以上愉快な事はないので、独立記念日の花火が上がった雨上がりのこの日(これを書いているのは翌日の5日ですが)、「collective」は出航致します。致しました。
センスがある方大募集中。フットワークが軽く行動力ある方優遇致します。all ages. 興味有る方は同ウェブサイトの「CONTACT」よりEMAILにてお申し込みください。
宜しくお願い致します。FUN FUN!!!
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