一つの時代の幕が降りた。
アメリカ合衆国で暮らした何年かの月日で、初めて体感した'08 大統領選挙。国民の生活が政治と直接的に結びつくかつての大国で、ヒラリー/オバマが世界を沸かしていたあの時から、仕事柄長らく選挙を追いかけきた。そして気付けばあれからもう一年以上たっている。
高城剛氏は、これからはウルトラ(?)フラットな時代になるって言ってた。そしてそれはまた、誰もが体得ている事実だろうと思う。僕らが思いこんでいたゴールが結局はツールでしかなかったことを証明しはじめているのはもはや明らかになっている。
前にも書いた事だけれど、ストックはもう何の意味も成さない、今はフローが必要なんだって。
で、話は戻って、
9月15日のリーマン破綻が、資本主義/自由市場経済という一つの時代の終焉と捉えることができるのならば、11月4日のオバマ大統領誕生を期に、僕の過ごしたアメリカ生活にもようやく終止符が打たれた気がした。そう、さようなら、アメリカ。
あまりにも多くの経験を得たここ数年の終盤。
楽観的で夢見がちな生ぬるい少年期を過ごした僕には堪え難いくらい、2008年は僕にとってあまりにも多くを失った年だった。それらを失う毎に、さっき書いた「ゴールがツールでしかなかったこと」が徐々に徐々にと明るみになっていった時の僕の落胆は、それはもうここでは言葉でしめせないくらい大きかった。
だから僕は、未だにオアシスの「WHATEVER」をよく聴く。
何年か前の、僕の青春時代の終わりに、多くの友人らに開いてもらったパーティでこの曲を流してもらった記憶は今でも強く残ってる。
大切なものを失う時にはいつもここに帰ってくる気がする。
むかついた時、何もかもがつまんない時、路頭に迷った時、浮かれすぎている時、悲しくて全部投げ出しそうになる時、決まってこの曲を聴く。
"I'm free to be whatever I
Whatever I choose
And I'll sing the blues if I want"
と無責任に勝手に唄い放つ暴漢リアムの言葉で、だいたい目の前にある小さいのにやたら巨大に見える厄介事はとりあえずふっとぶ。
喧嘩は目に見えない相手とするものだ。
アートはこうでもいいんだと実感する。
そうそうそう、やりたいようにやればいい。
やりたいようにやるー時々、ブログを続ける意味を問われる。こういった内容を書くことをこういった場で書いていれば、聞かれなくてもそんなことはいつも自問自答している。意味とかは自分でも分からないし、公で書く事の真意を問われれば、そんなものは無いに等しい。残念ながら「世の中に訴えるんだ」なんていう大それた事情さえも持ち得ていないし、ブログに拘る理由さえもない、別に手段はなんだっていい。ただネット世代にとってこれが一番とっつきやすかっただけってことで、ここに大志はない。
じゃあ何故続けるのかー表現というのは唯一の解放行為、そしてそれは時に快感さえも持ち得るから。元々閉鎖的な世界はあまり好きではないし、誰もみてないかもしれない/されどみんな見ているかもしれない、という淡い切望や安易な僕の人生観が、表現する行為に至らせてくれる、とでも言えばいいのか。プライベートすぎる日記では、僕の精神力に勝ち目がなさすぎる。
「罪」の対義語が「罰」であるならば、「自由」の類義語は「表現」ではないか、と今は亡き津軽の太宰に問いたい。
2 comments:
友人Hの肖像写真みたよ。いい写真。"続ける"...リンクにもあるけどKouichi Kimura氏の東京タワー写真とかそうかなと。ずっと東京タワーの写真。個人的には中途半端なシリーズものでもなく、いつ終わるのかもわからなくて、まさにthe answer is blowin in the wind。過去のもみたし、一週間に一回くらいためて見てるけど、おもしろい。
ここのブログはチェックしているし、読んでいて楽しい。更新が停まっても、新しい所で始めたらまた教えてね。
素直にありがとう。
俺はね、25歳を迎えて世界とともに転換期にはいったんだ。良い意味でね。いろんなことがいろんなとこであって、実は飄々としながらも辛い事しかない一年でして、ま、こんなとこに書けるくらいなら、まだまだ余裕なんだろうけど。喪失っていうの?とりあえず、決心したんだね。takagiも言ってるけど、build to destroyなんだって。
これからは、とことん突き詰めてく。周りの評価は眼中におかないで、やりたいようにやるだけって決めたんだ。fuck the goddamn worldよ。今自分が表現出来る場のひとつが、ここでもあるわけで。
会う人みんなに、何らかの評価をもらってるんだ。こんな粗末な物でもね。それ以上にうれしいことはなくって、だから続けるよ!!!今後もよろしく!
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