情報過多だね。非常に、異常なまでに、尋常じゃないほど過剰だね。
新調したパソコンが届いてからというもの、このどデカい27インチスクリーンに次から次へと映し出される情報量の多さに、初めこそ浮かれていたものの、今となっては怖じ気づいてきさえいます。
情報がありすぎて、知らないモノ/コトがウヨウヨとありすぎて、どれが本物なんだか何が欲しい情報だったのかさえも通りこして、とりあえず何でもある −まぁそんなこと何十年も言われ続けていることなんだし、何を今更って感じなんだけれど、
でも何なんだろう、この情報飢餓みたいな症状は?
基本的に、毎月何万もの現ナマをジャンルレスに紙媒体に費やす浪費癖や、自分の予定を拗らせてまでも何かを見に行ったりするが故の数知れずの失敗談を思い起こしてみるまでもなく、自分の患いがひたすら好奇心旺盛及び何でも知っていたい病というのは長らく知っていた事実なのだけど、それにしてもまぁこういったわけで「これって俺だけなのかな」「俺ってどうしようもない異常者かな」と要らない心配を有り難くも感じとってしまったので、とりあえず昨晩にSNSで、それも the most クソな某SNSサイトにテキトーな写真を載っけてみたんですよ。そしたら、サンキュ、ありました。一晩でいっぱい覗いてくれた人らのリストが(嫌みっぽくてごめんね)。いや、別に見てくれた人がどうこうといった主旨の話では決してなくって、まぁみんなも表情には決して出さないだけで、プライベートな奥底ではちゃっかりドロドロな情報中毒者なんだ!俺だけじゃないんじゃん!と安心した、という話。つまんないもんばっかがアップされていたと思うけれど、まぁそれについても失敬。
さてそれはおいといて、
まぁそのように情報をひたすらサーフィンしてると、ネット然り紙然り、色々なところでプロアマ問わず様々な批評(というより主に批判)に出会うわけだけれど、
批評という言葉について考えるとまず思い出すのがコレ。
ウィーザー。3枚目。高校生の時に出たやつ。
当時は、セルアウト/駄作/手抜き。それはそれは多くの批判がメディアを覆っていました。
3枚目まではオッケーっしょ!こんなシニカルなリヴァースも良くない?と、そんな考えを今でも持っている僕がいざここで「批評」という行為をとってみるならば、誰が何を言おうが勝手だけれど、とりあえずリヴァース・クオモは90年代最高のシンガーソングライターの一人だったこと忘れるなよ!ということ。「大ヒットした前作発表後に心変わりして学生に帰り、でもやっぱりロックスターへの憬れを捨てきれずに音楽生活に戻るもすぐに親愛なるベーシストが抜け」と3年も月日が経ちとりまく環境も聴衆の趣向も変わり、気づけば00年代へと時代も変わっての堂々復活。みんなすっげぇ辛辣だった気がする。
まぁここで今更ウィーザーの3rdについて、あーだこうだ批評を連ねたところで誰も興味がないことは分かっているので、
じゃ、00年代というタームを軸に話を2転も3転も自転公転させ、
気づけばもう昨日までの00年代も終わり、次、なんて呼ぶの?10年代?
おまえはおばさんでおじさんで、俺ももうおじさんだ。みんなしっかりしようぜ。遊ぶことに真剣になろうぜ。
ノロノロしてるとガキに笑われるのも遠くないよ!と。
迷ったらヴェッキオ宮へでも行って来りゃいい。
CERCA TROVA!
だよ。
「探せ されば 見つからん」
チェンジの翌年だし、こりゃもう今年の一句でしょう。
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