Sunday, October 24, 2010

make the most of yourself, for that is all there is of you.


「ヒップ」という感覚、存在を歴史から読み解く。

奴隷制や公民権運動はもちろん、現代の金字塔ラルフ エマソンからジェイZまでの100年余りを、ルイ アームストロングを通りケルアックを経由し、レイモンド チャンドラーからライオットガールズにまで立ち寄り、AOLタイムワーナーさえをも通り、読み解いていく、まさにアメリカ全史についての長編傑作。知識欲が十分に満たされる快作。

紛れも無いアメリカ史。だけれど、これは現代日本人にとっても、いや、とってこそ、必読なのではないでしょうか。
今自分らが働く環境、聞く音、読む文字、考える感覚、住む社会構成、これらのうち一つでも意識しながら注意を傾け生きている現代日本人にとってこそ、これらは「既に」ベーシックな知識としてあっても良いのではないか、と思ったのです。
オリジナリティだとかクリエイティビティだとか、ポピュラーカルチャーらしからぬマスカルチャー及びポストマス世代に生きるすべての僕らは、盗作の歴史に生まれ育ち、つまり僕らの「オリジナル!」という感覚こそ無意識的にはもう既に2番、或は3番煎じなわけで。

だから全国の「俺が俺が!」「私が私が!」な僕らは、それをしっかり痛みを伴うくらい真剣に認識することによって、それは非常に息苦しく出口の見えないお先真っ暗な状況ではあるのだろうけれど、でもそうやって初めてアートっていうのは飛躍出来るのかなぁ、と。言葉を変えて言うなれば、意識に語りかける絶望を、感覚に語りかけてくるる自己欺瞞を実感しないで創られるのはアートには到底なりえなく、ただ欺瞞に満ちた快楽的ゴミなわけだ。いくら僕らが真剣なつもりだとしても。真剣な学者、生徒、アーティスト、政治家、会社員、公務員、スポーツ選手、、、、なんでもいいけど、産み出すのは、それ無しにはすべて快楽的(資本主義的?)ゴミなわけだ。



ただベーシックを噛み砕きやりたいことをする。
そんで僕らが「お前は今一体何をしているのか」と街中で聞かれたら

「we jam econo!]とFUな気持ちで言い返してやればいい。


P.S. ちょっと前になるけれど、

R.I.P. ARI UP

48歳って、若すぎやしないか。。。?