Sunday, May 24, 2009

when the city sounds like today's, acoustic is a new radical.

「木の振動板」

雑種多様な「音」というには些か乱暴すぎるノイズがアスファルトに、コンクリートにと勝手気ままにキンキン反響する今日、

アコースティックな音が木の振動板に振れ遮断された空間の中で響く

という一貫したものづくり思想に

「なんとパンクなことでしょう」

と感動し購入したビクター社のイヤフォン「HP-FX 500」。



最初はドンシャリ気味に聴こえて「?」と思ったものの、いわゆるエージングを経て「良いジャン良いジャン」と。
音良し、デザイン良し、コストパフォーマンス良し。ハニー、僕はとても満足ですよ。



ということで,

アコースティックと言えば、我が故郷ウィスコンシン......



ではなく、

ミズーリの愛すべきバンド Theodore をどうぞ。





Good and Sweet Elise's Cut


郊外の狂気とは穏やな表情した反逆で、諦めが伴う飽くなき楽観。諦めに似た楽観は、物静かな悲観的傍観で、即ち郊外の狂気。それでも郊外の狂気とは裏を返せば透き通った空気をいっぱいに吸い込んで育った人間達が大人になって自宅のドアからぶら下がってる死体みたいな影の存在にはじめて気付いて生まれる其れで、現実というあれにぶちのめされては歪んでしまった、昔は何よりも誰よりも真っ直ぐだったあの正直さこそが郊外の狂気。「かっこ悪いミッドウェスト」という能書きを気にせずとも、皆にそう思われていることを自覚してしまっているからこそ生まれるシニカルさ。都会人が嫌うそんなシニカルなやつらの唄うとびっきりのアイロニーを、同じ郊外出身の僕は can't stop falling love with。

中西部、ミッドウェストの現代はとても尖っています。すごくユル〜くすっごく尖っていてかっこいいのに、いつだって忘れられがちな the americaは悲しくもいつだってメディアの蚊帳の外なもんだから、

今日も明日もしつこく僕はあなたに will keep you updated.

happy?

Monday, May 18, 2009

this, love of mine, is from the real whole-heartedly humanized LOCAL.

Cedarwell and Jp05 at Skinless Productions Gallery from Zac Eubank on Vimeo.


自分にとって大切なものとは何かを考えると終点はここにある気がする。
そこではなく、そこにある物。どこかではなく、そこで起こっていること。

手前味噌ですが、僕はとある83年生まれの友人らによるいつかの日本ツアー実現を心から夢見ています。
海を渡り、山を越えた、湖の畔で生きる澄み切った心の持ち主らの音楽がより多くの人に届くことが何よりもの夢なのかもしれないな、と思うくらい強く望んでいます。

cedarwellの新曲 "Burn Up The Sky: Which One?" "Run Into Hiding!"がCedarwell マイスペースに上がりました。

どこまでも生の希望に溢れた、どこまでも透明な空気に淀んだ、あまりに素晴らしすぎるの内容で皆様、一度ご視聴下さい。

CD購入希望者は僕までメール下さい。何枚でも輸入します。

そして社長、投資家、音楽関係者、知人、ヤクザ、浮浪者、引きこもり、ニート、警察、芸能人、おばあさん、ヤンキー、凡人、天才、君、

いつか達成できた暁には彼らのツアーの支援もよろしくお願い致します。




Cedarwell 公式ウェブサイト

Tuesday, May 12, 2009

we. pilgrim. orchestrated. pilgrim. forever.

ドラゴンアッシュの新作「Freedom」が最高すぎて更新。

全然良さが分からなかった10年前が嘘のように、前作の傑作「independente」から更に研ぎすまされた「Freedom」が、どツボ。

笑われながら、叩かれながら、J-POPと一言でまとめられながらも常に新しいフィールドへ出続けたドラゴンアッシュにようやく乾杯で、「運命共同体」とか真剣にほざくドラゴンアッシュに心から乾杯の今宵。






陽はまた轍を繋いで 散らばった仲間達united

俺たちはdream believer 誰だってそうfreedom

輪になって行こうぜ yours and my way



あきれるほど若くて陳腐な歌詞表現。夢想趣味の無知なヒューマニスト。おめでたい理想主義。セルアウト。

あぁ最高!


音楽好きによくいる「俺は違う、俺はこう思う、俺は〜俺は〜」と自己主張にまみれたボヘミアン気取りのエゴイストがあっけなく無視され消えて行く中で、「だって俺は、だって俺は」と見せかけの才気みせびらかすエゴイスティックな詩人気取りのアホがやがて無視されていく中で、日本中にはこびる哲学者気取りのクソが、アナーキスト気取りの見せかけ野郎がいつまでもグダグダしている中で、セルアウトだの何だのと散々叩かれながら10年以上もブれずにこうやって主張してきたドラゴンアッシュはかっこいい。

そんな口先だけの貧乏偉人気取りは、というか僕が知る限り人間はほぼ100%一人になると何もできないで言い訳がましくわめきたてては近い境遇を持つ奴をテキトウに見つけ、愚痴と文句並べて何とか平静を保とうとする。俺は間違ってない、と。そこで生まれる満足感にも実のところ全く満足できていないもんだから、ネガティブはやがて伝染し、似たようなカスが集まり、嘆くだけの明け方のカラスに成り下がる。残飯あさってはギャアギャア騒ぐ迷惑文化に成り下がる。

ヒトはヒト。他人は他人。自分は自分。

そんな個人主義は57億の人間誰しもが分かってる自明の理なわけで、それを何故か誰もが気付いていないかのように得意気に主張しちゃう赤ちゃんごっこが(実際のプロアマ問わず)所謂アマチュア、所詮インディ、所詮支持されないアンダーグラウンド文化の根っこなんじゃない。

人は孤独な生き物。we all fucking die alone.

んなこと言われても分かってるから、それでも地に足つけようとすれば一人じゃ誰も立っていられない哀れな現実があるわけで、だからこそ「運命共同体」と唄えることは、「散らばった仲間達united」と唄えることは、何よりもかっこいいじゃないかい!と思ってしまったわけだ。アーティスト気取りを横目にこの唄聴いてたらこんなに書きたいことが出て来ちゃったわけだ。

Thursday, May 7, 2009

instant karma shut me off.

時々思うことが一つ。

「何故僕はここまで突然行動的になれるのだろうか」

未だ慣れない職場で毎日毎晩あくせく働き、連休になった瞬間に自転車で156.2kmの実家帰省の往復をこなし、連休後半には琵琶湖まで友達と旅行なんかに出かけていたんだから。それにこの躁鬱的ジェットコースターライフはまだまだ止まりそうなく、5月には I DJ yo! なイベントが控えてるんだから。そんでまた仕事して、まーたイベントやっちゃうんだから。で、また仕事して、香港/マカオ旅行いっちゃうんだから。そんでまた仕事して、そしたらイベント活動 vol.2なんだから。で、週末は自転車乗って、休んで時間見つけては、人生何度目だ?というくらい飽きずに懲りずに手放せない「フラニーとゾーイー」を読んでは感傷的になったりしてみて。

I WANT TO BE ZOEY.

ということでまずは、自転車に乗りながら魅せられたストリート美術館がキュレーションを勤めた5月3日の東京近郊、街の風景を再現 just for you。





そして琵琶湖の湖岸に咲く一輪の壊れた観覧車。
作るだけ作って、自分の都合が悪くなりゃぁいつでもどこでも勝手に放り出しちゃうヒトの性癖に辟易。
ヒトはなんでもかんでも錆びさせる。じゃあ落ちた錆はどこへ向かう?何匹の魚に連鎖する??最後にじたばたするのはまたヒトヒトヒト???



琵琶湖湖岸で過ごした3日間の、素敵な仲間と飲んだくれハッピーなヒッピーライフ。

でも見逃さなかったね、比叡山延暦寺のお寺達の裏に停まってたブラックスモーク貼った高級外車を!
ドライブするだけで徴収する3000円という高額料金を!!
ETCで東京ー滋賀間が片道1750円ポッキリに対し、延暦寺のドライブコースはドライブのみでマザファッキン3000円だという事実を!!! 

ドライブ3000円+見学料500円の計3500円が満を持して披露するのは、

清き最澄の教え/釈迦の無欲な神髄なる生い立ちや教え。
形状的な富やエゴを撫で下ろす寡黙で孤高な東洋の宗教。
自然と涅槃がフュージョンした生の喜びと神秘。

不況へも決して屈しない、純が不純と化した高級外車とバブリーなライフ。
無虚と精神を操るショウケース。

物質と精神のやがて悲しき綴れ織り。ねぇ、キャロルキング、saddest tapestryよ。なんだかもう泣きたくなるね。

歴史を背負う建造物はすごかったし、祀る文化もその精神性にも圧倒されっぱなしだった。
文句なし!!!というくらい楽しめた比叡山延暦寺。

だったけど、まぁ見えちゃったね、また。

宗教の嘘は、周囲にあり。

haha. banzai and cry out loud to this material world. fuck'em!




まぁどうでもいいけど、こんな動きばっかりしてたら必ずまたいつか疲れがどっと出て、わがままな現代仕様な自分はきっとまた勝手に嫌気がさして籠り始めたりするんだろうなぁ。というリバウンドの行き来が今日までの人生だったんだけれど、そしてまたこれは今後もずっと続くのだろうけど,,,,,,



だとしたら i'll think of as if i am here driving AUTOBAHN! 

そしたら life is yet beatifulね。

Friday, May 1, 2009

lets get movin into action.

ahhhhh............................................


Wake Up, You Son of a bitch.....................


ということでついに back on the road again!

奇跡のGW8連休ということもあり、納車したばかりの自転車にまたがって都内某所の住まいから実家まで、距離にして78.1km(以外と普通?)

17号を東大まで一気に走り、言問橋に向かってトラックやバスと格闘、水戸街道に出たらあとは我らのルート6を一気にかけ走る。隅田川をこえ、荒川をまたぎ江戸川を抜け、やがては利根川を横断し牛久沼沿いをかける。北上するにつれ夜はファッキン冷えてくる。体がどんどん重たくなる。なのに脳内でアドレナリンだけはどんどん出っ放し、人生が楽しくて仕方なくなる。

郊外育ちの僕は fuck kids in the street、やっぱり on the roadでしょう。

で、出発前に必ず言われた問い...



Q:.....帰りはどうするの?




A:.....BICYCLE MOTHAFUCKIN BICYCLE!!!!!!!!!



are ya fuckin kiddin me huh?ってことだよ、と。帰りのことなんかわざわざ考えてたら、チャリで78.1km走るなんて発想そもそも出てこないんだって。帰りがだるくなることはわかっていても、後先のことは考えずにとりあえずやってみる。長男の得意技は、とりあえずやってみること。バカかどうかはさておき、そこで手に入る経験、身に染み付く知識、社会に対する見解、まぁそれはそれは多義に渡り手に入る。帰り道の後悔でさえもいつかは微笑ましい過去物語に変身する。

旅のもう1つの定義は、入場料無料の超良心的参加型美術館。昨日は、水を張るたんぼに映る夜月の姿に印象派が描く日本を見たし、走る公道、私道、車道、歩道はまるで雑種多様な美術館建築だったし、無残な巨大ゴミ処理場は現代アートなインスタレーションだった。そう、こんな感覚は、後先考えたお利口さんには分かんない。

またこれも後付ですが、旅の目的は「感覚を取り戻すこと」、「記憶を体に記録すること」。どこに行くか、じゃない。どうやって行くか。そこで何をするのか。これも、後先考えたお利口さんには分かんない。謹んでJTBにキスでもしてろ。



異国に住んだりサラリーマンしてたりと、昔に比べれば入る収入も変われば付き合う人間も変わった。
でも人生にカーブを描きたくない自分としては、自転車という高さで自分の育ったルート6を見て走って、自分の足で距離を確かめて、忘れかけてる昔に感傷的になったりしてみたりしたら、ヒトとしてもっとうまくバランスがとれるのかなぁ、と思ったんだね。ヒトは年齢を重ねると、良くもなり悪くもなる。ということは、過去だって良くもあり悪くもあった、ということ。


だから、たまーに襲ってくる自分の中に潜んでるイケイケな冒険家が連休に興奮しちゃって責め立ててきやがったんだよ、最近特に。

「その時の良かった事象や経験を忘れてんじゃねーのか、このbitchが!」と。

「調子にのってないで早くそれ取り戻してこいよ、このwhoreが!」と。

okay, alright. then lets get movin into action.

と始まったのでありました。ちゃんちゃん。



行く先々で休憩につきあってくれた人達、ありがとうございました。
次は帰りにまた会いましょう。

では、adios.