Monday, December 15, 2008

As the past meets the future, it gets clearer that it all boils down to love

「写真は創造ではなく、記憶でもなく、ドキュメントであると、私は考える。」中平卓馬




ドキュメント。
そのようにこの一枚の写真を、その時僕を取り囲んでいた、或は目の前に存在していた現実の断片と捉えるのであれば、じゃあ一体この具体性が示す現実とは一体何者であったのかと思う。

Tuesday, November 11, 2008

11 O'clock News

強い賛否両論を伴う反応というのは、ジャーナリストにとって一番の名誉ではないかと思う。

ウォルター クロンカイトというジャーナリストがいる。
アメリカのテレビジャーナリズムの象徴と言われた「CBS Evening News」のアンカーマンとしての活躍で広く知られている。ジャーナリズムの授業でかつて、ケネディ暗殺の悲報を涙で言葉に詰まりながら速報を伝える彼の姿、ベトナム戦争に対して強く反対を表明する姿を録画で観た時の感動は今でも忘れないし、その時が僕にとって初めて、テレビ/放送ジャーナリズムの在り方を考えた機会となった。




激動の60年代、アメリカ。

今から42年前の11月、サイモン&ガーファンクルがアルバム「Parsley, Sages, Rosemary And Time」を発表した。その中の「7時のニュース/きよしこの夜」(7 O'clock News/Silent Night)という曲。

「きよしこの夜」
誰もが知っているこのクリスマスソングはここで、サイモン&ガーファンクルによる見事なハーモニーとクロンカイトが読むニュースの音声で構成されるという異色のクリスマスソングとなっていた。そこではクリスマスの飾りが照らす華やかな街と夜空、同じ空の下で起きている数々の事件、死、戦争という現実が重ない、音楽とジャーナリズムが一体となって世界を告発した。


08年11月、日本。

僕は先日亡くなったジャーナリスト、筑紫哲也さんの特集番組を観て、井上陽水の「最後のニュース」が番組初期のエンディング曲だったことを知った。



筑紫さんがきっかけとなって書いた詞なのだろうか。
番組で、サングラスの奥で涙が溢れながら唄っているのを観て何かを思った人は今夜何人いたんだろう。


NEWS23といえば、坂本龍一の名曲「Put Your Hands Up」があった。
今思えば、この曲は僕にとっての「きよしこの夜」だったんじゃないかと思う。今でも平和を思う子守唄のように聴こえる。ここにクリスマスの装飾はなくとも、ピアノの響きと優しいメロディで締める番組の終わりが、「世界で色々なことが起きている中、今日も自分の部屋で一人ゆっくりと平和に眠ることができるんだ」という幸せ、当たり前すぎて忘れがちになってしまう「平和に感謝すること」を教えてくれていた気がする。勿論、当時はそんな自覚はほとんどなかったし、筑紫さんのファンでも、ましてやNEWS23のファンでもなかった。

けれど、2006年に帰国した際に観たNEWS23から「Put Your Hands Up」が流れてこなかった時、すごく寂しさを感じたのは何故だろうか。
そして今年の初めの3度目の帰国の時、そこにはもう筑紫さんの姿さえ無くなっていた。その後8月に帰ってきた時にも、やっぱり彼の姿は無かった。気付けば家族が番組を観ていることもなくなっていて、僕も別段チャンネルを変える気にもなれないまま、先日彼の悲報を知った。

そして今日観た特集番組。
ウォルター クロンカイトと筑紫哲也は似ている。「アメリカの良心」と言われているクロンカイトと似ているとなると、果たして筑紫さんは「日本の良心」と言えるのか。答えは分からないけれど、もし仮にそうだとしたら、分かっていることは今、時代は一つの終焉を迎えているということだと思う。


「政治とは世代の間でパイを奪い合うものだが、今この国はガンに陥っている。ガン細胞が出来ると本来使うべき栄養素をガンが使い果たしてしまい栄養素が体全体に回らなくなるように、日本という国のガン細胞がパイを全て食い尽くしてしまい、どの世代にも配分されていない。そういう問題ははっきりしているが、敵は大きい。」

これが氏による最後の多事争論だった。全く、こんな風に後は頼みますとばかりに逝ってしまっては、あまりにも無責任なんじゃないかとも思う。ちょっと待てや、これって全部お前らの世代で作ったことだろ、と言いたくもなる。

でもこんな戯言を言おうと、世代や属性で括れど結局のところ個は個でしかありえない。多事争論とは、字のごとく「論を争う」のであって、そこに解決はない。というかそんなものどこにもあるわけもない。そんな自明の理を前に、いつだって答えをもとめるこの国に若い世代はいつだって不満を感じきて、それなのにいつまでも匿名行為を捨てれず誰も議論を避けてきた半世紀。良くも悪くも日本はそういう国だった。だからこそ、こんな風潮の中で勇気を持って公然と問いかける姿勢を最後まで全うした筑紫さんの死は現代の日本にとって大きな損失であるように思えるし、一つの時代の終焉に思えてならない。彼が正しいかどうか、ジャーナリストとして責任を果たしたかどうか、そんなことよりも、彼が「思考し、私感を述べることのできる」人間であり続けてくれたことに最大限の敬意を捧げたい。

湾岸戦争があり、冷戦が終わり、壁が壊れ、ソビエトが崩壊。9・ 11があり、アフガニスタン、イラク戦争も終わらぬまま金融も崩壊。そして今月、超大国の次期大統領に初の黒人が選出された。 

筑紫さん、ご冥福をお祈りします。

Saturday, November 8, 2008

A Little To Stimulate A Poet In You.

「〜の文章は横書きだよね」

先日、友人であり尊敬する先輩でもある人に言われた言葉。
思いがけない、面白い指摘。その日以来、この言葉は僕の頭のどこか片隅にいつもいた。

毎日のように書きなぐり続けたモールスキンのノート5冊を読み返すと、おお!うん、なるほどなと思う。
そしてこれは英語教育を受けた影響からではなく、現代の日本で育った影響が大きいのだなと思った。

確かに小学校までは「書く」という行為を、日本古来に準ずる縦書きで教わっていた記憶はある。
けれど一度教育機関を放棄し始めてからというもの、雑誌やテレビなどのメディアの影響も強かったのか横書きの文章に慣れ、縦書きの表現に触れる機会が著しく減っていた気がする。

その後、大学で英語でのライティングを学んで以来、今まで遠い世界のように見えていた詩という行為にいきなり異常な愛情を感じ慣れ親しんできた。
ウィリアム カルロス ウィリアムス、ロバート フロスト、W.D.イェーツ、ディラン トーマス、E.E.カミング、ジャック ケルアック、アレン ギンズバーグ、、、数え上げればキリがない。行く先々で所構わず書店を見つけては一喜一憂、入り浸り度々読みふけっては、興奮冷めやらぬまま溢れる所感、感想を呂律の回らない口調で片っ端から友人らに吹いて廻っていたという、今となれば大いに迷惑だっただろうと察するくらい深入りしてきた。

最近では、先日言及したナナオ サカキに始まり、萩原朔太郎、谷川俊太郎、金子光晴、北園克衛、国木田独歩などと、広く浅く読み漁っている次第。でもそこで幾日もある疑問が晴れなかった。


なんで僕は日本語で詩を書けないんだろう。
というより、なんでそれを楽しめないんだろう。


決して僕の英語での詩が秀いでてるなどと言いたいのではなく、
この疑問にぶち当たる度に自分の表現能力を疑い不安になっていたということ。


ある日、ふと先日頂いた言葉を思い返しながら電車に揺られながら膝の上でノートをとりあえず横に置いてみた。

真っ白なページを見ると虫酸が走り、まずは思いつくままにペンを走らせてみた。
1文字、2文字、2行、3行。
いつもみたく横に這わず、縦に揺れる蛇に何とも例えがたい新鮮さを感じ、さて次のスタンザへ進むところ、そこで僕は乗ってる電車がどこらへんを走っていたのか全く気にもとめないまま足早に駅を降りた。咄嗟の行動。O型で長男のいつもの悪い癖だ。咄嗟の行動、けれど時にはこのフットワークの軽さが功を奏す。適当な駅前のカフェに入り、無味無臭な珈琲に250円を放り投げ、とりあえず適当な席に座りノートを開く。ペンを握る。世界を見る。自分が映る。


それから数日経つ。勿論、まだ何も完成しちゃいない。
ただ、何か手応えのようなものを感じたのは確かだった。灯台もと暗し。ヒントはいっつもそこらへんに落ちてるんだったっけ。
とりあえずこれからは、縦書きの世界を見てみようと思う。



は、何?難しい?よく分からない?

え、じゃあお前には何が簡単で、何なら分かるっつーわけ?別に毎日生きてても、法律とか常識とかルールとか、実は全部よく分からなくね?

音楽について熱く語っても、ファッションについて、経済について、夢や将来について誰かが語ってても普通で、詩を語るのは難しい?よく分からない?


詩は決して偉くも難しくもない。
理解の数は星の数ほどあるじゃん。いっつもどこにいても答えを求められるこの社会で、詩は優しくって誰の物でもありえる物だと思うんだけどなー。

え?じゃあフジが詩の番組を、ダウンタウンの担当で8時から放送してたら、どうよ。それでも難しい?
じゃあ、クラブで詩がぶっといビートとダブに乗っかってたら、楽しめない?難しい?じゃあ、アンダーワールドのボーンスリッピーにときめいた時、あのリフレインを難解だ、よく分からん、とかいちいち思った?『最高ー!』ってバンザイしてなかった?


先程言った友人であり尊敬する先輩でもある彼に数年前に教わったこと。
歌舞伎は元々大衆のものだった。実は高貴で近づきがたいものなんかじゃなく、庶民による大衆文化だった、と。
上流社会へのアンチテーゼ、つまりは77年のパンク発祥と類を共にするものであった、と。

いつかテレビで見たこと。
元々モーツァルトの曲は畏まる必要もなく、ディナーのBGM用に作られたのだ、と。

アメリカで感じたこと。
詩はコメディであり、時に人は手を叩いて笑いころげるような感覚を持つ極めてカジュアルなものだ、と。
週末のイーストヴィレッジで、ホームレスや学生や主婦や会社員が集って楽しむ極めてカジュアルなものだった、と。



ギンズバーグはこの時、彼らが生きる時代に対して詩という表現を武器に高々と告発していた。
変人?でもこの人が、みんなの大好きなジョニーデップが尊敬する人の一人なんだよ?
ま、確かにこの阿呆面、やたら早い言い回し、滑稽なほど少ない単語の数。変人かもね。これはもう、一種のお笑いであり得ると思う。分厚い眼鏡と長い髭で武装しながら難しい顔でギンズバーグを語る必要なんて何もない。これしか知らない所謂無知でも、そこに楽しみを見いだしたらみんな一緒に詩ラヴァー。次に戦争が起きたら、詩とか音楽とか、ソフトな方法で反戦運動でもしようぜ。

詩を成す哲学。哲学は世界67億の人間が皆それぞれ持っている個性溢れる俗物で、所詮詩はその表現方法の一つでしかない。
詩は、朝起きて歯を磨くようなもの。詩は、失恋して泣きじゃくっている顔のようなもの。

金子光晴氏の一節


「わたしは たうとう あなたのうんこになりました」


偉大な詩人によるこの一節!これはもう、お笑いそのものでしょ!お笑い観て笑う行為と、僕にとって何の差もない。違う?

でも前後の文脈通すと、僕はいつもこの一節で泣きそうになるんです。
なぜ?さぁ。。。それは67億の理解。SIXTY-SEVEN HUNDRED MILLION!!!! 鈍るな、現代の量感よ。

そう、別に笑いでもいいってこと。一度入り口さえ見つければ、そこには最も暖かい生への祝福があるんだから。頭のぼけた自殺志願者じゃなけりゃ、誰でも楽しめ泣き笑うことができるはずって思う。テレビも新聞も音楽も詩も、底に流れているのは共通してる。ほら、解放しちゃおうよ、その感性。

ギンズバーグも金子光晴も、世の中が大好きだったのだと思う。批評は愛するがゆえ。賛辞に一番近い行為はいつだって「左」だの「右」だのと比喩され煙たがられる批評だ。だから現状に対する告発は、器の大きな愛情表現ゆえであり、それに対して人は笑っても泣いても怒ってもいい。そしていつか文化は伝承する。
全くもって自由だ。
だからいつだって叫ぼう。FUCK YOU!FUCK YOU ALL!

長くて失敬。Sucker.



追伸:
最後に、縦書きへ気付かせてくれた氏へ感謝の意を表します。
この発見は僕の大きな糧となる気がしています。いつかまとめたものを観て頂けたらと思っております。

Tuesday, November 4, 2008

Change: The Answer Is Blowin' In The Wind.

一つの時代の幕が降りた。

アメリカ合衆国で暮らした何年かの月日で、初めて体感した'08 大統領選挙。国民の生活が政治と直接的に結びつくかつての大国で、ヒラリー/オバマが世界を沸かしていたあの時から、仕事柄長らく選挙を追いかけきた。そして気付けばあれからもう一年以上たっている。
高城剛氏は、これからはウルトラ(?)フラットな時代になるって言ってた。そしてそれはまた、誰もが体得ている事実だろうと思う。僕らが思いこんでいたゴールが結局はツールでしかなかったことを証明しはじめているのはもはや明らかになっている。
前にも書いた事だけれど、ストックはもう何の意味も成さない、今はフローが必要なんだって。

で、話は戻って、

9月15日のリーマン破綻が、資本主義/自由市場経済という一つの時代の終焉と捉えることができるのならば、11月4日のオバマ大統領誕生を期に、僕の過ごしたアメリカ生活にもようやく終止符が打たれた気がした。そう、さようなら、アメリカ。





あまりにも多くの経験を得たここ数年の終盤。
楽観的で夢見がちな生ぬるい少年期を過ごした僕には堪え難いくらい、2008年は僕にとってあまりにも多くを失った年だった。それらを失う毎に、さっき書いた「ゴールがツールでしかなかったこと」が徐々に徐々にと明るみになっていった時の僕の落胆は、それはもうここでは言葉でしめせないくらい大きかった。

だから僕は、未だにオアシスの「WHATEVER」をよく聴く。
何年か前の、僕の青春時代の終わりに、多くの友人らに開いてもらったパーティでこの曲を流してもらった記憶は今でも強く残ってる。
大切なものを失う時にはいつもここに帰ってくる気がする。
むかついた時、何もかもがつまんない時、路頭に迷った時、浮かれすぎている時、悲しくて全部投げ出しそうになる時、決まってこの曲を聴く。



"I'm free to be whatever I

Whatever I choose

And I'll sing the blues if I want"

と無責任に勝手に唄い放つ暴漢リアムの言葉で、だいたい目の前にある小さいのにやたら巨大に見える厄介事はとりあえずふっとぶ。
喧嘩は目に見えない相手とするものだ。
アートはこうでもいいんだと実感する。
そうそうそう、やりたいようにやればいい。

やりたいようにやるー時々、ブログを続ける意味を問われる。こういった内容を書くことをこういった場で書いていれば、聞かれなくてもそんなことはいつも自問自答している。意味とかは自分でも分からないし、公で書く事の真意を問われれば、そんなものは無いに等しい。残念ながら「世の中に訴えるんだ」なんていう大それた事情さえも持ち得ていないし、ブログに拘る理由さえもない、別に手段はなんだっていい。ただネット世代にとってこれが一番とっつきやすかっただけってことで、ここに大志はない。

じゃあ何故続けるのかー表現というのは唯一の解放行為、そしてそれは時に快感さえも持ち得るから。元々閉鎖的な世界はあまり好きではないし、誰もみてないかもしれない/されどみんな見ているかもしれない、という淡い切望や安易な僕の人生観が、表現する行為に至らせてくれる、とでも言えばいいのか。プライベートすぎる日記では、僕の精神力に勝ち目がなさすぎる。

「罪」の対義語が「罰」であるならば、「自由」の類義語は「表現」ではないか、と今は亡き津軽の太宰に問いたい。

Saturday, October 25, 2008

My Fellow Brooklynite Mono-Orchestrated (might have to be) Fully Frustrated.

僕には、生まれてきてから28年間ギターしか弾いてこなかったような友達がいる。

毎日同じ服、目にかかった前髪、ポッコリ出たお腹、ボコボコの車で雑な運転。パートタイムのおもちゃ屋勤務で28歳未婚。ギターが信じられないくらいにうまい。部屋が汚い。流行り廃りに関係なく、今でもグランジを地で行く生活をしている。

シャイな性格だが実に気さくで優しい人間だ。そのせいか地元ではいつも大勢の友人に囲まれている、隠れ人気者なんだと思う。

でも彼がもし日本にいたらきっと、「メタボ」やら「フリーター」やら「変わり者」のレッテルで今頃雁字搦めに違いない。

「28歳独身、フリーター、ミュージシャン志望、実家暮らし」

あぁ、痛い程目に浮かぶ、こんなレッテル。
ではそんな彼の生い立ちを言い換えるとこうなるか、

「アメリカのミュージシャン。ニューヨーク出身。10代の時はカリフォルニアの音楽学校で学び、現在は地元ニューヨーク、ブルックリンにて音楽活動中」



言葉の持つ力には恐れ入る。そして僕らの固定概念も想像以上に酷い。

時代はもうストックじゃなくてフローを求めてるというのに
未だに僕ら「君の常識は僕の非常識」
いくら調和を求めたって、
君のイエスは僕のノー
僕のゴーは君のストップ
だからもう一度
ストックじゃなくてフローだ
We must know this, we must now fucking understand this.

Saturday, October 18, 2008

Howdy! I Need My Bo Didley!!


「ロックはゲスだ」

髭野郎はそう呟いた。

気持ち悪いナイーヴさが全面に押し出されたナルシズムとか、世代の代弁だとか、アウトサイダー気取った所詮社会人ロックだとかは、結局成り下がった代官山の嘘っぽさのと同じだ。日頃やたらと耳につく言葉、キッズだとかクリエイティビティだとか、アーティスティックとか、エレクトロだとかの所詮成りきり単語で武装したロックはゲスだ。意味の半分も理解らずに語り尽くされる芸術は全部クソだ。

髭野郎は続ける。

「意味なんてねーよ!バーカ。」とほざく冷めた幼稚園児でも無意味に踊れる、時代性とか無視しちゃうくらいのダサさ爆発、裏を返せば大モテの最高にイカしたゴミ芸術、結果としてのガラクタインスタレーション芸術、あの最高なロックンロールは一体何処へいったんだ?

髭野郎はついに問いかけてきた。


2005年、僕は久しぶりに所謂ロック音楽を買った。いやいや、裏切られた。それはそれは最高のロックンロールだった。
今じゃ売れっ子となったこの「髭(HiGE)」のメジャーデビューアルバム「Thank You, Beatles」は、ロック不況中に落とされた最高のロックンロールアルバムだった。意味なんてない、考える必要の微塵も無い、前も後ろも、右も左も形振りも構わない只管最高なアルバムだった。




それにしても無駄に手がかかってそうなPV。「髭(HiGE)」はもっともっと売れていいと思う。
Mステとかに出ちゃって、とことん最高なロックスターになればいい。本気で思う。だからみんなもっと聴け、もっと踊れ。



最近知ったのだが、「髭」は我らが茨城県出身。そんな彼らの今後更なる活躍に期待すべく、文句上等必殺のユーチューブ連発の異例発動。だからそうすぐに飽きるなって。もうあきらめろ、いいから聴け、金輪際堪忍しちゃってこの際もう思いっきり踊れ、笑え。もっともっと楽しもうぜ。何のために生きてるわけでもねーんだし、オンガクのガクは楽なんだし、だったらもっともっともっと楽しもうぜ。

Thursday, October 16, 2008

Do Make Say Think and See My Waterloo Sunset

元来内向的な人間であったように思う。
でもこれは別にネガティブな少年時代を送ったという意味ではない。むしろその逆、健康健全、明朗快活、心は充分に裕福な少年時代を送ってた。内向的だというのは、子供時代は何かと打ち込む物事を抱えこむ質だったということで、現在までも、それはそれは幅広くサッカー、読書、旅、音楽、といつの時も何かに執着してたということ。チームスポーツであるサッカーに内向的とは矛盾しているように聞こえるかもしれないけど、サッカーといっても別にチームワークとかじゃなく、スパイクなどの備品でもなく、ましてや優勝をかけた大会などでもなく、ただ単純にサッカーというスポーツをすること、観ること、考えることが好きだった。今となればチームの実践練習よりも基礎練習が好きだったのもそのせいかと思う。

しかし僕もいつの頃だか海の向こうにある巨大な消費大国へ出向き、暮らし、やがて世界の中心と呼ばれる地で消費のプリンスと化した。これは外向的になったと言うべきか。何かに打ち込む前にまず物をこしらえる。その消費が目前に降りてきてはいつだって本質を隠していたようにも思える。そこで学ぶ事も多々あった。もちろん消費の快楽は今でも色褪せない。でも人間は環境に左右されるもの。いや、ヒトは環境に左右されるどころか形成される生き物だって信じてる。そして僕はもうその大国の消費大都市にはいない。消費のプリンスが活躍できる場にはもう立っていないのだ。

中部大学の武田邦彦教授は、

(フランスの)「小学校の教科書や試験問題を見ると、「よい子」になる教育ではなく、「人間としての独立、尊厳」を育てる教育のように思う。彼らは独立している。そして自分の人生は何をするのか見えている。だから、「物」にはあまり依存しなくても良いのだ。 物を節約してもまったく不満は生じない。
 それに対して日本人は「個」が独立していない。大人になっても、人により添い、寄っかかっているところがある。そして「物」にも頼っている。そしてもっとも大切な「人生の意味」は中途半端にしか体得していない。だから、日本人には「物」がいる。心が成熟し確立していれば、自然と物には頼らずに節約する。節約しても本人は特にそれを意識している訳ではない」

という。
正直、羨ましいと思う。良い子教育の洗練を受けた自分には眩しいくらい。

『私は「リサイクル」、「節約」、そして「3R」などはすべて嫌いだ。それはあまりにも「物」だけに注目し、そして「みんなで監視して守ろう」としているので、まるで日本国民全員が幼児のように感じられるからだ。
 フランスはパリを大切にし、誇りにしている。それは「パリこそが世界でもっとも文化の香りの高いところだから、必ずみんながパリにあこがれるはずだ」という確信があるからだ。
 実は私もパリに行くとその香りに酔ってしまう。ヨーロッパ嫌いの私でも心の充実を感じることは心地よい。パリはその精神性の高さから芸術家、数学者、ショパン、キュリー夫人、ガロアなどを引きつけ、そして今でも「花のパリ」である。
 日本にもかつて、文化の香りがする町があった。西田幾多郎、室生犀星、泉鏡花を出し、旧制第四高等学校が城跡にあった金沢などもその一つだった』

と教授は続ける。
では今自分を取り巻く環境は何か、今一度見直してみる。

親、友達、犬、家、、、あげればキリがない、音、時間、空気、木、緑、庭。。。庭!そう、「庭」と書く一文字の秘宝に扮した財産に何故今までこんなにも無関心でいられたのだろうか。淀んだ郊外の空気にも負けず、街の片隅でひっそりと緑の根が貼られた酸素溢れるその空間を前にしてどうしてこれ以上無関心でいられようか。



通い続けたカフェもこの通り緑に飾られ呼吸してた。
兼六園の緑は21世紀美術館を彩り、大いに気分が良かったことも脳裏によぎる。アメリカの州立公園でもそれは顕著だ。
もちろん州立公園や三大庭園とは費用の懸けようが違うがそこはフランス流、世界は意識で変わる。で、とりあえずガーデニングを始めました、というお話。This is a love supreme. What I have is always supreme, and yours too. Think more about it.

Thursday, October 9, 2008

Think Glocal, Act Glocal, Fuck Non-Glocal

国内一地味だと思っていた地元茨城県を越え、「最も影が薄い県(地域ブランド知覚指数ランキング最下位)」と言われている栃木県。そして県内でも更に最も存在感が無い地域の一つであるという栃木市に先日行ってきた。

訪れた街は著しく見られるシャッター街、潰れた商店街、すっかり活力も失われているようなこの街。自由市場経済の確かなる被害状況が生々しかった。

さて、今回訪れた理由は、とある経由で出向いた「栃木•蔵の街プロジェクト」。映画祭やアート、農業などのテーマに基づいた、いわば一大町起こし。



映画際には欧州各国大使館などが協賛し、栃木名物の蔵での映画上映が先週末中行われていた。
アートプロジェクトでは、関東の美術大学(多摩美術大学、武蔵野美術大学、東京藝術大学、東京工芸大学ほか)の生徒達による、蔵をギャラリーとして利用した展示会。
そして「元気ジャパン農園」と評される、自給率アップを目指した週末農民プロジェクト。
参加したのはアートプロジェクトのみだったけれど、さすが美大生。とても楽しめました。
個人的に、アートには造詣が薄いためあまりコメントなどはしたくないのだけれど、それにしてもあの街おこしプロジェクトには何か羨ましい、単純に居合わせただけでも満足できる、そんな素晴らしい空気がありました。

で、なんと言ってもあの街。
モロに観光地化され芽生えた商業性が著しく目立つ京都や岡山県倉敷市とは異なり、これでもか!という程のオールドスクール感。もうスケールが違う。
あまりの幻想的店構えについ誘われた「喫茶ロマンチカ」では、かなり美味なブルーマウンテンが400円台。今時分、ブルーマウンテンやキリマンジャロといった珈琲を喫茶店で飲むには600円はかかるという意識があったので、もうそれだけで満悦。地価と原料費を理解している抜群のコストパフォーマンス。そして目の前に建っていた「美容室 ウシク」。あまりの身内ネタのため、これ以上は掘り下げれないと自負しながらも、やはりどうしても書かずにはいられない衝撃的な出会いだった。

話は戻って...
国内食料自給率40%といわれるこの国に生きる者として、やっぱり「週末農民プロジェクト」に参加したい感はあった。
株じゃなく原油でもない、自給自足が基本のホモサピエンスは何処へ行ったてしまったのか。ホモサピエンスは「知恵のある人」という意味を持つという。古人類学では、「人間」とは社会性/人格を中心に置く。ならば現在一番必要なのは何だろう。目先の安定なんだろうか。社会に属さずには生きれないのに人間はいつだって、個人主義に陥りワケも理解らず混沌を生み出してきた。知恵をもつ人は、そこから学習するのが常ではないんだろうか。



人間が群居性の動物であるというなら、今一番大切なのは高次な欲求が織り成す経済の微粒子とかじゃないんじゃないかな。
「地球温暖化ではなく、地球高温化ではないか」とは作家、倉本聰の言葉。なるほど、言葉の持つ意味は大きい。行動にさえ左右するもんだ。
こんなことを、サントリーモルツを秋の肴にアル•ゴア著の「An Inconvenient truth(不都合な真実)」を読みながら思った。

Wednesday, October 8, 2008

ILL BEATNIK




「路上」に出会ったのは確か中学3年生の時だった。

「世の中つまんねぇ!どいつもこいつもクソばっかりだ」と、いつも通り学校をサボりながら「何か面白い本ないかな〜」、と近所の書店でひとりぷらぷらと純粋無垢に文庫本コーナーを徘徊していた時にたまたま手にしたのがきっかけだったのがJ•ケルアック著の「路上」。パンクとかグランジとかを初めて聴いた時に、ワケもわからずにただひたすらでっかい衝動を糧に、タバコとお酒を買っては不良の真似事を繰り返していたあの頃と同じ要領で、ギンズバーグとかバロウズを読みあさっていたことを覚えている。
うん、確か、「俺はアメリカにいくぜ」と密かに若さ溢れる決意を胸にしたのもその頃だった。

しかし、パンクとの出会い以降は「路上」や「吠える」などの所謂ビートニク関連以外の全ての書物を捨て去り、まるでロンドンのゲトーにでも暮らしているかのようなパンク模倣犯になってからは、「パンクは本も読まないし勉強もしねーんだ」などとほざいては、しばらく文学とは決別していたあの青春時代。捨てはしなかったものの、ケルアックもギンズバーグも全く読まなくなっていた。

しかしやがて月日も経ち自由と無軌道の区別を覚える年頃になると、「パンクは変化であり、姿勢である」という故ジョーストラマーの名言を腰脇にしっかりと携え、異ジャンル音楽への理解を示していくと同時に、文学に戻り不時着したあの頃。消去法という手段ではあったけれど、偶然だったのか必然的であったのかは知れずとも、大学でライティングを専攻すると途端に、怒濤の文学騒ぎが勃発し、やがて英語圏に住み着く20歳そこらの僕は、その頃から久しぶりにビートニクという憧れの世界へ舞い戻ったわけだけれども、そこで在米中に奇跡の詩と出会った、というのが、そしてその出会いから今日までの路上が今日の本題。初めて読んだのは英語訳だったけれど、原文が日本語だったというのも印象深かった。

「へのへのもへの」

無駄口たたくひまあれば
本読みな

本読む暇あれば
歩け 山を海をさばくを

歩くひまあれば
歌え 踊れ

踊るひまあれば
黙って座れ

おめでたい
へのへのもへの
読者諸君

〜ナナオサカキ「犬もあるけば」より〜





今度の帰国にあたり、颯爽と書店に向かい手に入れたのがこのナナオサカキ著の「犬も歩けば」だった。彼の詩集は、それはそれは今年起こった幾度に渡る放浪のきっかけとなり、青春18切符とこの一冊で数時間は過ごせた大作。やっぱり読書は原文が一番だ、という事を思い知る事も出来た超大作。

ゲーリースナイダーはかつて

「ナナオは、日本から現れた最初の真にコスモポリタンな詩人の一人である」

と評した。

アレンギンズバーグはかつて

 たくさんの渓流に洗われた頭
 四つの大陸を歩いてきたきれいな足
 鹿児島の空のように曇りなき目 …
 ナナオの両手は頼りになる 星のように鋭いペンと斧

と唄った。
そしてギンズバーグも愛用していた、最近日本にも上陸し街でもちょくちょく見かける眼鏡ブランド「MOSCOT」を継承しつつ、先日佐田真由美と結婚したばかりのTripster/Sputnik代表 野村訓一氏が、同著の帯を手がけていたのにもびっくりした。
では以下抜粋。

「犬も歩けば自分にあたる。
歩き、見、感じ、自分の声に耳を澄まし、
遥かビートに時代から詩を、
国を越えて唄う詩人の声。
カウンターカルチャーから全てのカルチャーへ。」




なるほどね。

ほら、みんなもっと旅に出ようぜ。

Saturday, October 4, 2008

SUBTERRANEAN HOME SICK BLUES

 先日、諸事情にて急遽訪れた名古屋市内の珈琲屋でくつろいでいると突然、「蒋介石!!!」と一喝しながらホームレス風の男が入って来た。店内を見渡せば空席だらけのその喫茶店で、40代半ばくらいのその禿げかけたポニーテール男は何故か僕の隣の席を選んだ。
 腰を下ろしマルボロメンソールに火をつけると途端にこちらを向き「俺は足軽出身なんだ、名古屋じゃねぇ...まぁ、独り言だけどな」と啖呵を切った。アイスコーヒー片手にタウンワークを眺めては、こちらに色々と語りかけてくる。豊臣秀吉について、銃について、東京の女について、やくざについて、それはもう様々、異種混同のラブパレード。そしてそれら一つ一つの話題が切れる度には必ず「...独り言だけどな」と言い残し、からっからに乾いた口の片端をゆっくりとつり上げる。 
 不思議だった。雨上がりで湿度の高い9月下旬のそんな昼間に大体何故彼はトレンチコート姿なのだろうか。気になって思いつくままに質問してみると、何故だか見事に無視された。まったく上の空、といった表情だ。かと思えば突如振り向き「俺は共産党を応援してるんだ」とか「ここらは最近警察がうようよしてやがる」とか言い出す。そしてお決まりのの「...独り言だけどな」と言い足しニヤリと笑う。
 そこである事に気が付く。彼の両手には共に小指が無い。独り言をつぶやき、小指の無い手を器用に操りながらタウンワークを眺める彼を見ていたら、なんだか切なさのようなものが生まれてきて、ただぼんやりと隣席を眺めていると今度はまた突然、「シンガポールの女は下品だぜ」とか言い出す。「なんで?」と聞き返せば「俺の性に合うからだよ」とか逆説めいた迷答が帰ってくる。その意味を飲み込めず考えていると、彼は腰をあげ「家があんだよ、じゃあな兄ちゃん、災害には気をつけろよ」と勝手に言い残し去って行った。家?HOME?

"Poor Boys Long Way From Home" - John Fahey


 家-ホーム-という響きに引き摺られて、John Faheyを聴いた。ここ数ヶ月、まるで瘋癲のような生活をしていたからか最近になって「家」という語感が何かを執拗に問いかけてくる。

 十数年前にアメリカという幻想に犯されたガキが、やがて身長も電車内で一番くらいになるくらい充分に育つとやがて憧れに向かって飛ぶ時を迎え、それなのにいざ念願の旅立ち直前になれば、そんな時に限って地元を初めて「家のようだ」とサウダージを感じてしまい、されど仲間を背にも旅立つしか道は無く、やがて気付けばあの壮大なウィスコンシンが時間と仲間とともにだんだん「家」のような深みを持ち始め、ニューヨークへ越せば今度は色々な意味での「家」を持ち、そして気付けば米国経済後退とともに昔の我が家へ戻ってきてしまった今日。
 そんな我が家にいると、階下から聞こえてくる懐かしい食卓の音が夕闇とともに現れる鈴虫の鳴き声で情緒豊かにリミックスされ、素敵な家族の風景が見えてきてやっぱりここに確かな愛着を感じる。でも一方で、日本における過剰なまでのニューヨーク崇拝をメディアを通じてひしひしと痛感し、そして「かつての栄光」とも勘違いできてしまうそれを今となっては回想する事しかできない物質的な何をも持たない24歳の自分には、かつて忌み嫌い放っぽっておいた現実とかが邪魔してきて、そんなの一蹴りしてしまえばいいのに何故かしない、出来ない自分は2、3年前の情景を思い出しながら何故だかすぐふらっと放浪に出てしまう昨日今日。
 そしたら今度は、その旅先々で色々なことを見て聞いて感じては感化され、悦や鬱に浸ってはそろそろ真面目に人生を考えたりする。そういう時の心情に見え隠れするキーワードが「郷愁」という意味を含んだ「家」という定義、問いかけだったりする。そして失礼極まりないくらい曖昧な表現をこそっと拝借するならば、それはサウダージではなくノスタルジーという語感が含する郷愁感覚。そんな語感に対する自分の脆さ、脆いからこそ儚く見える情景。そこには何故だかいつもアメリカの情景があって、その時の頭の中を上映してみるとこのJohn Fahey、とくに「Poor Boys Long Way From Homeが流れ出してきて色々と懐かしんでしまうものだから、だったら涙とか出てきちゃう前に「もう家へ帰ろう」と名古屋を後にしたのでありました。

Re: 更新Say

更新Sitarよ

Thursday, September 25, 2008

Sunday Morning Mix


帰国初日に愛用のPower Book G4のEnterキーを愛犬に食べられてから久しい。
未だ不在のEnterを他所にアップルネタを一つ。

今日偶然気付いてアップデートしたiTunes。
このiTunes 8のデザインが素晴らしかったのもそうだけど、以外と便利そうで楽しみなのが新機能の「Genius」。

「パーフェクトなプレイリストを作ってくれるGeniusの登場です。曲を聴きながらGeniusボタンをクリックすると、ライブラリにある相性のいい曲を集めたプレイリストをGeniusがその場で作ってくれます。」ーアップル

今までのShuffle機能のむず痒い所を解消した以外と便利かもしれない機能。ぶっ飛んだミックスは期待出来ずとも、家で音楽をただかけていたいような気分にはピッタリかもしれない。

ではどんな感じか。
試しにヴェルヴェットアンダーグラウンドの「サンデーモーニング」で試してみると、

Nico→Joy Division→Beirut→My Bloody Valentine→Sonic Youth→Television→Talking Heads

となる。
ではウータンクランの「Bring Da Ruckus」で始めると

Madvillain→Lupe Fiasco→The Cool Kids→Pete Rock→Handsome Boy Modelling School→Dizzy Rascal→Busdriver

だと。
リーモーガンの「The Sidewinder」だと

Thelonious Monk→Charlie Parker→Hank Mobley→Charles Mingus→Jim Hall→Wes Montgomery→Jaco Pastorius

だって。
ならば宇多田ヒカルの「ぼくはくま」で始めると、

安室奈美恵→My Little Lover→Carpenters→髭→曽我部恵一→中村一義→Feist→スピッツ→久石譲→Kreva


クレバかよ、て感じもしたけれど、この機能は良いかも。
シャッフル機能も決して嫌いではなかったけど、膨大な楽曲量が詰まってるパソコンの場合、ミスチル後の灰野敬二とか、サイモンアンドガーファンクル後の卍ラインとか、気分的によろしくない、或は最低 or 迷惑とも言えるミックスが多く控えていたのでこの新機能には感謝。


あと久しぶりの新しいビジュアライザ!これまたテンションが上がった一日の終わりだった。

では、farewell.

Friday, September 12, 2008

Et Son Merveilleux Essai

新聞には出会いがあります。ネット全盛のご時世で書店が懸命にその役割を果たしていると同様に、時には社説から、時には文化面から、新聞には素晴らしい出会いが散りばめられてあります。ニュースを把握するならばネットで充分。それはその通り。けれど新聞には思いも寄らない物事を知るミディアムだということを時に思い知らされる時があります
これはこの夏の旅行で偶然手にした8月のある日付の福井新聞の社説で出会った詩人萩原朔太郎著の随筆。


 「先日大阪の知人が訪ねて来たので、銀座の相当な喫茶店へ案内した。学生のすくない大阪には、本格的の喫茶店がなく、珍らしい土産話と思つたからである。果して知人は珍らしがり、次のやうな感想を述べた。先程から観察して居ると、僅か一杯の紅茶を飲んで、半時間もぼんやり坐つてる人が沢山居る。一体彼等は何を考へてゐるのだらうと。一分間の閑も惜しく、タイムイズマネーで忙がしく市中を馳け廻つてる大阪人が、かうした東京の喫茶店風景を見て、いかにも閑人の寄り集りのやうに思ひ、むしろ不可思議に思ふのは当然である。私もさう言はれて、初めて喫茶店の客が「何を考へて居るのだらう」と考へて見た。おそらく彼等は、何も考へては居ないのだらう。と言つて疲労を休める為に、休息してゐるといふわけでもない。つまり彼等は、綺麗な小娘や善い音楽を背景にして、都会生活の気分や閑散を楽しんでるのだ。これが即ち文化の余裕といふものであり、昔の日本の江戸や、今の仏蘭西の巴里などで、この種の閑人倶楽部が市中の至る所に設備されてるのは、文化が長い伝統によつて、余裕性を多分にもつてる証左である。武林無想庵氏の話によると、この余裕性をもたない都市は、世界で紐育と東京だけださうだが、それでもまだ喫茶店があるだけ、東京の方が大阪よりましかも知れない。ニイチエの説によると、絶えず働くと言ふことは、賤しく俗悪の趣味であり、人に文化的情操のない証左であるが、今の日本のやうな新開国では、絶えず働くことが強要され、到底閑散の気分などは楽しめない。巴里の喫茶店で、街路にマロニエの葉の散るのを眺めながら、一杯の葡萄酒で半日も暮してゐるなんてことは、話に聞くだけでも贅沢至極のことである。昔の江戸時代の日本人は、理髪店で浮世話や将棋をしながら、殆んど丸一日を暮して居た。文化の伝統が古くなるほど、人の心に余裕が生れ、生活がのんびりとして暮しよくなる。それが即ち「太平の世」といふものである。今の日本は、太平の世を去る事あまりに遠い。昔の江戸時代には帰らないでも、せめて巴里かロンドン位の程度にまで、余裕のある閑散の生活環境を作りたい。」ー「喫茶店にて」萩原朔太郎著


昭和50年代には(人口との比率で)喫茶店の多い街ナンバーワンだったと言われる地元福井の新聞らしい自社記事。福井市だけでなく日本全国、その数もめっきりと減少している喫茶店とかつてのゆとり教育を掛けた、日本海の隅っこに位置するかつての喫茶店街から、都市の生き急ぐ現代性に立派に意思提示を発信する秀逸な記事でした。そして、その記事を読みこの随筆を知り得たその時間こそ真に自分にとって余裕のある閑散の生活時間でした。

二年も連続で総理大臣が退くこの現代で、物価だけがひたすら上げられ苦しみながら自国のトップを決める投票権利さえも持てずにただただ生活に追われている僕ら国民は、自民総裁選の街頭演説になんか別に目を向ける必要も無いと思います。
それでも新聞はもっと読んだ方が良い。知識をつけるためだけが目的ではないはずだから、文化的な余裕を過ごすための喫茶店が今ではやっぱり巨大チェーン店なのだとしても、そこで新聞を共にする時間は現代の文化的余裕性につながるはず。

アジア諸国の発展が著しくとも、20年も前にそんな経済成長は終えてしまっている我が日本に必要なのは経済政策の巻き返しだけでなく、少なくとも国民にもっと必要なのは文化的余裕。だからもっと遊べ。芸術に勤しめ。ガソリンが高いなら車くらい放棄しろ。

なんだか最近は無性に腹が立つ。

I hope the coup d'etat would come.

Sunday, September 7, 2008

helllo darling. would you like to hear some stories?

日本に着陸してから一ヶ月くらいが経ってしまいました。
8月の猛暑と湿気に殺られ北陸へ逃げたったのが約一ヶ月程前。その後帰ってきた途端、ぐいぐいと舞い降りて来る眩しすぎる夏の誘惑や地元の湿気まみれな閉鎖感に嫌気がさし、得意の鈍行列車を乗り継ぎ西へ西へと向かって大阪を越え兵庫をまたぎ岡山などへふらふら立ち寄ったり、なぜか京都のジュンク堂に入り浸ったりの二度目の軽旅行。そして思ったことは、「俺はきっとどこにも定住できねぇ」。





さて、旅先では様々な人にお世話になりました。今回は特に福井市と倉敷市の魅力にハマりました。
福井では知人の友人という僕にとってはたぶん赤の他人であろう人物の祖父が発明したソースがウリの「福井名産ソーツかつ丼」をさらっと平らげ、自殺の名所で有名と言われる東尋坊の絶景にイカの串焼きをくわえながらひたすら魅了され、たかすの海ではシュノーケル完全装備でテトラポッドまで泳ぎ、この21世紀の夏を少年のように過ごして満腹でした。



全く音楽を聴かずの13時間鈍行の旅第一話は、帰りの13時間中2時間目で早くもiPodを手に取ってしまい、お気に入りのシガーロスのアルバム「Með suð í eyrum við spilum endalaust」を再生しました。「これだよこれ!」と悦に浸っているのも束の間、ふと顔を上げると電車の窓からは山々の美しい風景が並んじゃってて、みんな一斉に「hello!」とか言ってくるもんだから、仕方なく席を立つしかなかった。もうその後は衝動的に電車を降りると服はしっかりと着たまま山まで一直線。麓までしか歩く体力がなかったけれど、そびえ立つ木々の凛々しさと田んぼの青々しさとシガーロスがシンクロしちゃってもうそれはそれは大変だった。人生のすべてが美しくて泣いちゃいそうな、神だろうが芸術だろうが政治だろうがおばあちゃんだろうが、もうすべての生に感謝感謝。そんな気分にまでなってしまった24歳夏のある昼下がりでした。





倉敷では、人種の違う貴族様達のお膝元である祇園の街をそっくりそのまんまオリジネイターである我らが庶民の手の中に収め続けているような素敵な街並「美観地区」にて、日常的な絶景をみたらし団子加えてのんびり。倉敷での実質滞在時間は短かったものの、蟲文庫(ムシ•ブンコ)という素晴らしき古本屋を発見したり、大原美術館ではロダンの彫刻からポロックのペインティングまで楽しめたり、もうすっかり楽しみました。只一つだけ。5、6年前のある朝にふらりと寄った喫茶店「ペニーレイン」が発見できなかったのが少々心残り。特別何も覚えていないその喫茶店、店名のわりにクラシック一本なBGMで拍子抜けしたけど、その名前からか非常に印象深かったので少々残念でした。



旅行は余暇の支配下で人は休息を求めて出向くのかもしれないけれど、旅は余暇の支配外で新しい発見を探すもの。まだまだ足りない。しかしそれにしても一体いくら使ったであろうこの一ヶ月。全く貯金も底が見えてきてしまってはそろそろ腰を落ち着かせなければ。ということで、もう少しブログもアップしようと思います。気力も体力も復活したので。
今週は13日につくば市豊里ゆかりの森野外ステージにて行われる「Stoned Festival」に友人が出演します。誰か一緒に行きましょう。そして同日夜は吉祥寺STAR PINE'S CAFEにてライジングサウンドの面々が出演します。つくばの後でも頑張って吉祥寺まで足を運ぶ予定なので、これも誰か行く人いたらご一緒しませんか?

※googleアカウントがないとコメント出来ない、との声がありましたので、ご一緒してくれる方がいればメールか電話ください。

それでは goodnight darling.

Tuesday, August 5, 2008

BACK IN WISCONSIN. DAY 2



ウィスコンシンを訪れることを決めた翌日、友人宅へ旅の詳細を伝えるべく電話をかけると留守。彼はライブ中ということで、まだ会った事のない彼の母親が受話器を取る。「あなたのことは息子からよく話は聞いているわよ」とのことで、まだ一度も顔を会わせたこともない自分の旅を気遣ってくれたのか、宿泊先は州立公園近くの閑静な林に住む一家のゲストルームを使えるよう予め連絡を取っておいてくれたという。「そこが気に入らなければウチでもいいし、まぁウィスコンシンには帰るべきところはいくらでもあるから」と笑いながら伝えてくれた。
前々から気付いてはいたが、ウィスコンシンにおける親子関係、というか街の人間関係が最高だ。以前に長期滞在していた時も、ライブになると皆両親や親戚などがこぞって見に来てくれるのが常だった。僕らが演奏していたのは、30分からなる持ち曲無しで堂々のインプロビゼーション音楽。使用しちぇいた楽器も声のループやテルミン、リズムマシーン、サンプラー、おもちゃなどを使った即興音遊びに度重なるギターディストーションといった、牛やとうもろこしに囲まれ育った人々が日々好き好んで聞くとは思えない代物。以前日本から自分の両親を招いて行った際に開いたライブイベントでは、あまりのノイズ量に警察が止めに来たほど(もちろん全員で地下に移動して中から鍵かけて続行しました)。そのような赴きにも関わらず彼らは皆見に来てくれていた。もちろん家族だけではなく、近郊に住む高校生や大学生からアート関係の人々や音楽好きな、際物好きなおじさんおばさんまでもが来てくれたりする。別に意識的にサポートしてくれるわけではなく、無意識的に興味を持って偏見なく見に来てくれるのだ。そこがなんともユルい。ユルすぎて素晴らしかった。そう、音楽に対する楽しみ方なんて無意識的で充分でしょう。

ニューヨークで忘れかけていたそんな温かみを違った角度から再度経験することができた旅行となった。そんな極上にユル〜いウィスコンシンの写真をいくつか。









Wednesday, July 23, 2008

BACK IN WISCONSIN. DAY 1


EBCO Lab on Erie Ave. Sheboygan WI.

ゴミとファッション。虚栄と繁栄。見栄とエゴ。欲望と堕落。
4日間の旅行を経て戻ったニューヨーク、少なくともマンハッタンはそんな街に見えた。
1年間を経ていろいろな物を見て来たけれど、もうここに残る意味はきっとなさそう。
大事な物が気がついたらなくなっている、そんなスピード狂のような街。うん、もう必要ない。

そんな時に一年ぶりに戻ったウィスコンシン州シボイガン。
灰色の雲が相変わらずよく似合っていた初日は、久しく会っていなかった友人大集結のライブ日和だった。
ニューヨークの高額レントに苦しみながら半ばヒッピー状態で生き延びているアーティストとは180度違った相変わらずあまりにユルい人々による極上のライブミュージック。外から溢れんばかりに入ってくる情報と内に佇む緑で平和的な現実の間でシュールリアリスティックに覚醒しまくるミッドウェスト地方のアート性は、都市が一番だった時代の終焉を見事に象徴していた。政治的にも経済的にも見放されたアメリカ中西部におけるこの覚醒したアート性こそ現代のアメリカンハードコアなのではないだろうか。決して時代遅れとかじゃない、ニューヨークのカビだらけのアーティストロフトで騒音をたてるやり方もあれば、水辺のベンチで何時間も過ごしながら生まれてくるアートも存分に現代的だということ。ひねくれたヒップスターだけがかっこいいわけではない、曲がりくねってしまった世間からはずれて見えてしまう、緑の環境が育てた純粋性が訴えかける何かは本当に強烈。スタイルじゃない。地理的に無謀な地で、流行とともにピストバイクにまたがればいいわけじゃない。「都市」と「現代」が同じタームで括られる時代こそとっくに時代遅れなんだろう。だったら尚更もうここには用は無い。


近所に住むおじさんと少女による超アナログVJ


Cooper a.k.a. Koolaid on Gt.


Jared R. Beckman plays genius.


Ross Fale on Gt.


Jared & Andrew


LUKE BECKMAN and his friends dancing.

Wednesday, July 9, 2008

REVIEW: SONIC YOUTH




 「River to River Festival」。これは毎年夏シーズン中マンハッタン島ダウンタウン地区で3ヶ月間毎週、様々なバンドによる無料のライブが繰り広げられるいわゆる夏フェス。昨年もアニマル•コレクティブ、バトルス、といったバンドが出演し大盛り上がりを見せていた。
 歴史をたどれば同フェスが誕生したのは02年。きっかけは9/11、同時多発テロで沈没したロウアーマンハッタンをアートの力で息を吹き返させる、といった主旨で始められたという。西はハドソン川、東はイーストリバーに囲まれるダウンタウンエリア内で開かれる、というのが名前の由来。
 昨年も、70年代に活躍したロウアーイーストサイド出身の伝説「SUICIDE」が出演するなど、同フェスにはコアなファンも多く集まり人気を誇っていたが、06、07年ともに期間内で一番注目される7月4日、独立記念日の出演アーティストがスコットランドのベル&セバスチャン、カナダのニューポルノグラファーズという外国勢であったなど、その主旨に対する異議も多くのメディアで唱えられていた。
 しかし、ニューヨーク市出身のオルタナティブ/ノイズ音楽シーンの重鎮ソニックユースの出演で決まった今年の記念日は、無料にも関わらずこの日だけはチケット制が設けられ、予約開始後数日でソールドアウト(?)になる異例な出来事となった。
 
 キム•ゴードン(Vo./Ba)は「X-girl」のデザイナーとしても有名で、今年2月にはマーク•ジェイコブスのショウでも彼らの演奏が大々的にフィーチャーされるなど、何かと音楽外の話題も多い無冠の帝王ソニックユースだが、おぉ、始まれば何のその。ノイズという音の洪水、最近ではすっかり鳴りを潜めているように見えるニューヨークアンダーグラウンドシーンの健在ぶりを見せつけられたような気がした。
 今年はソロでも傑作「TREES OUTSIDE ACADEMY」を産み出したサーストン•ムーア(Vo./Gt.)は今年でなんと50歳。最近でも「NO WAVE: POST PUNK. NEW YORK UNDERGROUND 1976-1980」の著作を記念し、トライベッカにてリディア•ランチを招待、「TEENAGE JESUS & JERKS」の再結成ライブを率先して実現するなど、相変わらずの社会貢献を果たしている。そう、ニルヴァーナもダイナソージュニアもソニックユースが見初めた、というのも有名な話。
 この日はもちろん、Tシャツに短パンといった出で立ちのMR. マーク•ジェイコブスも客席に紛れ込んでいました。客席には、マーク•ジェイコブスブランドのソニックユースTシャツを着たファン、もろグランジなネルシャツ/ロン毛の白人族もちらほら。モッシュもダイブするのも良し、ノイズに揺れるのも良し。選曲も名盤「DAYDREAM NATION」や「GOO」、「DIRTY」からも多数演奏するなど、盛り上がらないわけがない。締めは「100%」。めちゃくちゃ盛り上がった。リー•ラナルド(Vo./Gt.)のポエトリーにもしびれた。でもとにかく、その他に類を見ないノイズ天国にぶちのめされた。
 
 その晩、独立記念日を祝し打ち上げられた花火の退屈さに寓の根を言うまでもなく、全くいつまでこうやって上の世代に踊らされる日が続くのだろうと、友人宅の屋上にてふと疑問に思った。確かにソニックユースは最高にかっこよかった。でもどうせならもっと自分の同世代による最高にかっこよい音楽に共鳴したい。見せかけのスタイルなんて打ちのめすぐらい強烈な同世代の出現に刺激を受けたい。「〜のリミックス聴いた?」だとか、「あのプロモまじでヤバいよ」だとかそんな話がしたいんじゃなくて、もっと近い物同士が刺激しあえる環境にいたい。芸術を着飾らずに直視するのが当たり前な時代じゃなきゃどう考えても面白くない。そう、誰もが知っている単語の羅列みたいになってしまっているこんなクソみたいな20世紀的レビューじゃなくて、感嘆符と形容詞ばっかりですっかり埋まってしまうような、そんな感動を素直に表現できる正直な環境が欲しい。どこそこのレコードレーベルだとか、〜とのコラボだとか、そんな格好付けた表現も出来ないようなライター泣かせの世界で生きてみたい。

Saturday, July 5, 2008

You Don't Know Shit About Collective Yet.



collective は、2008年7月4日の米国独立記念日を機に、ニューヨーク州ブルックリン区はブッシュウィックにて始動致しました。7月4日に意味は特にありません。ただタイミングが良かったのです。

 「collective -コレクティブ-」とは、集合体、共同体、のような意味を持ちます。同じ集合体でも「グループ」という単語は、予め「個」が集まった上での「集合体」という感覚ですが、「コレクティブ」という言葉では、「個」それぞれがそれぞれの目的のもとに一時的に「集まる」というような逆説的な説明がよく似合う粋な言葉です。
 別の表現を用いれば、我ら「collective」には、つまり「グループ」を形成するほど「個」の纏まりなんてものは無かった。やりたいことは多すぎるくらいイメージできても、読書や音楽鑑賞などの個人行動以外の何にも魅力を感じられない、外へとほぼ一切の興味を向けられない我が空っぽの世代の2人がたまたま、米国はブルックリンで「このままじゃつまらないぞ」と立ち上がったわけです。
 かつてリチャード•ヘルが唄った「ブランク•ジェネレーション」は2008年今日の気分とピッタリ合い、僕らはそのくらい空っぽの世代だからこそ、きっとキレる17歳と当時のメディアに指されていたわけで、今日の日本でも切り裂き事件など数多くの迷事件を巻き起こしている我が世代もようやく書を捨て街へ出る時期がきていると思うんです。米国のドルが下がっているのにも関わらずいつまでたってもドルに勝てない円の敗戦国、不況の手下みたいな国の中で、せっかく頭でっかちに手元に抱えているその破裂しそうな知識も理屈も陳腐なアイロニーも、自立できれなければ、外に向かって表現できなければいつまでたっても僕らアンダードッグなわけで、そうしたらどう考えてもつまらない。FUCK THAT BITCH. 楽しくないだろ。
 ならばやりたい事を特定なジャンルに絞れずにもまずは行動も良いのかもしれない。そう思って始まったのが「collective」です。商業的な意識はまだ鳴りを潜めています。問題はないでしょう。二酸化炭素の排出権なんぞを売買しているこのご時世に、この資本主義だっていつまで続くのやらって感じなわけで。LEDなどの地域通貨が各地で増える一方で、巨大大手による環境経営などという言葉が盛んに叫ばれるこの世の中で、資本やその上によろよろと立つ地位や名誉がいつまで意味を持つのでしょうか。例えそれが続くとしても、また僕らに今後もしばらく商業的意識が芽生えてこないとしても、どっちにしろ楽しまなければ最後には何が残るのでしょうか?

 だからとりあえず楽しむ。そのために人が集まる。もうこれ以上愉快な事はないので、独立記念日の花火が上がった雨上がりのこの日(これを書いているのは翌日の5日ですが)、「collective」は出航致します。致しました。
 センスがある方大募集中。フットワークが軽く行動力ある方優遇致します。all ages. 興味有る方は同ウェブサイトの「CONTACT」よりEMAILにてお申し込みください。

 宜しくお願い致します。FUN FUN!!!