Saturday, November 8, 2008

A Little To Stimulate A Poet In You.

「〜の文章は横書きだよね」

先日、友人であり尊敬する先輩でもある人に言われた言葉。
思いがけない、面白い指摘。その日以来、この言葉は僕の頭のどこか片隅にいつもいた。

毎日のように書きなぐり続けたモールスキンのノート5冊を読み返すと、おお!うん、なるほどなと思う。
そしてこれは英語教育を受けた影響からではなく、現代の日本で育った影響が大きいのだなと思った。

確かに小学校までは「書く」という行為を、日本古来に準ずる縦書きで教わっていた記憶はある。
けれど一度教育機関を放棄し始めてからというもの、雑誌やテレビなどのメディアの影響も強かったのか横書きの文章に慣れ、縦書きの表現に触れる機会が著しく減っていた気がする。

その後、大学で英語でのライティングを学んで以来、今まで遠い世界のように見えていた詩という行為にいきなり異常な愛情を感じ慣れ親しんできた。
ウィリアム カルロス ウィリアムス、ロバート フロスト、W.D.イェーツ、ディラン トーマス、E.E.カミング、ジャック ケルアック、アレン ギンズバーグ、、、数え上げればキリがない。行く先々で所構わず書店を見つけては一喜一憂、入り浸り度々読みふけっては、興奮冷めやらぬまま溢れる所感、感想を呂律の回らない口調で片っ端から友人らに吹いて廻っていたという、今となれば大いに迷惑だっただろうと察するくらい深入りしてきた。

最近では、先日言及したナナオ サカキに始まり、萩原朔太郎、谷川俊太郎、金子光晴、北園克衛、国木田独歩などと、広く浅く読み漁っている次第。でもそこで幾日もある疑問が晴れなかった。


なんで僕は日本語で詩を書けないんだろう。
というより、なんでそれを楽しめないんだろう。


決して僕の英語での詩が秀いでてるなどと言いたいのではなく、
この疑問にぶち当たる度に自分の表現能力を疑い不安になっていたということ。


ある日、ふと先日頂いた言葉を思い返しながら電車に揺られながら膝の上でノートをとりあえず横に置いてみた。

真っ白なページを見ると虫酸が走り、まずは思いつくままにペンを走らせてみた。
1文字、2文字、2行、3行。
いつもみたく横に這わず、縦に揺れる蛇に何とも例えがたい新鮮さを感じ、さて次のスタンザへ進むところ、そこで僕は乗ってる電車がどこらへんを走っていたのか全く気にもとめないまま足早に駅を降りた。咄嗟の行動。O型で長男のいつもの悪い癖だ。咄嗟の行動、けれど時にはこのフットワークの軽さが功を奏す。適当な駅前のカフェに入り、無味無臭な珈琲に250円を放り投げ、とりあえず適当な席に座りノートを開く。ペンを握る。世界を見る。自分が映る。


それから数日経つ。勿論、まだ何も完成しちゃいない。
ただ、何か手応えのようなものを感じたのは確かだった。灯台もと暗し。ヒントはいっつもそこらへんに落ちてるんだったっけ。
とりあえずこれからは、縦書きの世界を見てみようと思う。



は、何?難しい?よく分からない?

え、じゃあお前には何が簡単で、何なら分かるっつーわけ?別に毎日生きてても、法律とか常識とかルールとか、実は全部よく分からなくね?

音楽について熱く語っても、ファッションについて、経済について、夢や将来について誰かが語ってても普通で、詩を語るのは難しい?よく分からない?


詩は決して偉くも難しくもない。
理解の数は星の数ほどあるじゃん。いっつもどこにいても答えを求められるこの社会で、詩は優しくって誰の物でもありえる物だと思うんだけどなー。

え?じゃあフジが詩の番組を、ダウンタウンの担当で8時から放送してたら、どうよ。それでも難しい?
じゃあ、クラブで詩がぶっといビートとダブに乗っかってたら、楽しめない?難しい?じゃあ、アンダーワールドのボーンスリッピーにときめいた時、あのリフレインを難解だ、よく分からん、とかいちいち思った?『最高ー!』ってバンザイしてなかった?


先程言った友人であり尊敬する先輩でもある彼に数年前に教わったこと。
歌舞伎は元々大衆のものだった。実は高貴で近づきがたいものなんかじゃなく、庶民による大衆文化だった、と。
上流社会へのアンチテーゼ、つまりは77年のパンク発祥と類を共にするものであった、と。

いつかテレビで見たこと。
元々モーツァルトの曲は畏まる必要もなく、ディナーのBGM用に作られたのだ、と。

アメリカで感じたこと。
詩はコメディであり、時に人は手を叩いて笑いころげるような感覚を持つ極めてカジュアルなものだ、と。
週末のイーストヴィレッジで、ホームレスや学生や主婦や会社員が集って楽しむ極めてカジュアルなものだった、と。



ギンズバーグはこの時、彼らが生きる時代に対して詩という表現を武器に高々と告発していた。
変人?でもこの人が、みんなの大好きなジョニーデップが尊敬する人の一人なんだよ?
ま、確かにこの阿呆面、やたら早い言い回し、滑稽なほど少ない単語の数。変人かもね。これはもう、一種のお笑いであり得ると思う。分厚い眼鏡と長い髭で武装しながら難しい顔でギンズバーグを語る必要なんて何もない。これしか知らない所謂無知でも、そこに楽しみを見いだしたらみんな一緒に詩ラヴァー。次に戦争が起きたら、詩とか音楽とか、ソフトな方法で反戦運動でもしようぜ。

詩を成す哲学。哲学は世界67億の人間が皆それぞれ持っている個性溢れる俗物で、所詮詩はその表現方法の一つでしかない。
詩は、朝起きて歯を磨くようなもの。詩は、失恋して泣きじゃくっている顔のようなもの。

金子光晴氏の一節


「わたしは たうとう あなたのうんこになりました」


偉大な詩人によるこの一節!これはもう、お笑いそのものでしょ!お笑い観て笑う行為と、僕にとって何の差もない。違う?

でも前後の文脈通すと、僕はいつもこの一節で泣きそうになるんです。
なぜ?さぁ。。。それは67億の理解。SIXTY-SEVEN HUNDRED MILLION!!!! 鈍るな、現代の量感よ。

そう、別に笑いでもいいってこと。一度入り口さえ見つければ、そこには最も暖かい生への祝福があるんだから。頭のぼけた自殺志願者じゃなけりゃ、誰でも楽しめ泣き笑うことができるはずって思う。テレビも新聞も音楽も詩も、底に流れているのは共通してる。ほら、解放しちゃおうよ、その感性。

ギンズバーグも金子光晴も、世の中が大好きだったのだと思う。批評は愛するがゆえ。賛辞に一番近い行為はいつだって「左」だの「右」だのと比喩され煙たがられる批評だ。だから現状に対する告発は、器の大きな愛情表現ゆえであり、それに対して人は笑っても泣いても怒ってもいい。そしていつか文化は伝承する。
全くもって自由だ。
だからいつだって叫ぼう。FUCK YOU!FUCK YOU ALL!

長くて失敬。Sucker.



追伸:
最後に、縦書きへ気付かせてくれた氏へ感謝の意を表します。
この発見は僕の大きな糧となる気がしています。いつかまとめたものを観て頂けたらと思っております。

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